トップQs
タイムライン
チャット
視点

伊東義五郎

日本の海軍軍人 ウィキペディアから

伊東義五郎
Remove ads

伊東 義五郎(いとう よしごろう、1858年6月26日安政5年5月16日〉 - 1919年大正8年〉2月22日[1])は、明治期・大正前期の日本海軍軍人政治家海軍中将従三位勲二等功三級男爵

概要 生年月日, 出生地 ...
Remove ads

経歴

信濃国松代城下石切町に松代藩士・伊東賢治の四男として生まれる。藩校文武学校を経て、1872年9月、海軍兵学寮5期)に入学。1877年西南戦争に従軍。1881年1月、海軍少尉任官。フランスドイツ差遣(1884-1888)、海軍参謀部第3課員、「高千穂」副長心得、海軍参謀部第2課員、常備艦隊参謀、「比叡」「大和」「葛城」の各副長、佐世保水雷隊司令、「高千穂」副長、海軍省軍務局第1課員などを歴任。1894年9月、海相秘書官となり西郷従道大臣に仕えた。日清戦争では西海艦隊参謀長として出征した。

さらに、海軍省主事、フランス公使館付、「敷島艦長などを経て、1901年7月、海軍少将に進級。常備艦隊司令官横須賀鎮守府艦政部長などを歴任し、日露戦争時は横須賀工廠長であった。1905年11月、海軍中将となり、竹敷要港部司令官、将官会議議員を務め、1909年5月、予備役に編入された。1918年5月16日、後備役となる[2]

1907年9月、男爵を叙爵し華族となる。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に当選し[3]、1919年の死去まで在任した[1][4]。大日本石油鉱業(現・帝国石油)社長にも就任した。墓所は青山霊園

Remove ads

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許
Remove ads

親族

  • 妻 伊東満里子(1871-1945)- フランス海軍軍人テオドール・フラパース(Theodore Frappaz)の娘、フランス名マリー・ルイーズ・フラパース(Marie Louise Frappaz[23])。1888年に16歳で伊東と結婚[24]。日本の軍人初の国際結婚[25]。義五郎がフランス公使館付海軍大佐(1896-1900)として再滞仏の際には長女・次女・三女を連れ同行。
  • 子供
    • イザベル・ベルト・マリー桜子(1889年生)- 1909年にフランス海軍軍人 Marcel ROUVIER(1881-1920)と結婚、息子に Guy(1911-1995)[26]。娘のMagali(1918-1995)はシェルブールの海事長を務めたフランス海軍軍人Pierre Bouillautの妻となった[27][28]
    • シュザンヌ・マリー・アメリー不二子(1893年生-1986年没)- 武者小路公共外交官)妻
    • レネー・マリー清子(1895年生)- 本野盛一(外交官。本野一郎長男)妻
    • ギー・イチ(1898年生)- パリ生まれの男児[29]。日本の資料に義五郎の子は一男五女の記述あり[30]、夭折等したか下記の義節と同一人物か。
    • 義節(よしのり、1900年生-1976年没)- 男爵継承者[31]。園芸・畜犬場「昭芳園」経営[32][33]。娘4人あり。
    • マルゲリート千代子(1902年生)- フランス海軍軍人 Emmanuel Andrieu d'ALBAS 1894-1969)妻[34]。夫の d'ALBAS は東京のフランス大使館勤務経験があり、日本海軍の艦隊を解説した著作などもある[35]
    • 文子(あやこ、1912年生)[31]
  • 武者小路公秀本野盛幸

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads