トップQs
タイムライン
チャット
視点

伊達宗基

1866-1917, 陸奥国仙台藩の第14代藩主 ウィキペディアから

伊達宗基
Remove ads

伊達 宗基(だて むねもと)は、江戸時代末期大名明治時代から大正時代華族位階爵位従二位伯爵

概要 凡例伊達宗基, 時代 ...

伊達宗家の第30代当主で、仙台藩第14代(最後の)藩主、同藩初代知藩事幼名建千代麿亀三郎榴岡鶴城

Remove ads

生涯

第13代藩主・伊達慶邦の四男。母は仙台藩士・松岡時良の娘・道子(お勝の方)。正室松浦詮の三女・都子。

慶応4年(1868年)、父・慶邦が奥羽越列藩同盟の盟主になったために罰された。のち家督を譲られて藩主に就いたものの、新政府により62万石の所領を28万石に減封される。実高はもっと低く10万石程度であったために伊達家は伯爵となる。明治2年(1869年)の版籍奉還後、仙台知藩事となり、北海道紗那地方の支配も命ぜられた。

しかし幼少であり、本来なら慶邦の跡を継ぐのは養子・宗敦であったため、明治3年(1870年)に謹慎を解かれた宗敦に知藩事を譲った。廃藩置県後、明治17年(1884年)に伯爵となる。

明治34年(1901年)、明治天皇仙台巡幸の際、伊達家に伝わる鶴丸を献上。

大正6年(1917年)に52歳で死去。従二位を追贈される。伊達伯爵家は弟の邦宗(慶邦の七男)が継いだ。

栄典

Remove ads

家族

  • 父:伊達慶邦(1825-1874)
  • 母:松岡道子 - 於勝の方、松岡時良の娘
  • 妻:松浦都子 - 松浦詮の三女
  • 養子

偏諱を受けた人物

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads