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住友金属ギラソール

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住友金属ギラソール(すみともきんぞくギラソール)は、福岡県北九州市を本拠地に活動していた、住友金属の男子バレーボールチームである。社内名称は「住友金属排球団」。

概要 住友金属ギラソール, 原語表記 ...

歴史

1951年に小倉製鋼バレーボール部(9人制)として創部。親会社の変遷に伴い、住友金属小倉製鉄所、住友金属となった。チーム結成直後の1952年には全日本実業団大会で八幡製鉄(現:堺ブレイザーズ)を破り初優勝。翌1953年には全日本総合選手権(9人制)で優勝している[1]

バレーボール日本リーグには第1回から参加した。苦戦することが多かったが、日本リーグには通算9シーズン在籍している。

1993年実業団リーグ(2部リーグに当たる)で優勝し、7年ぶりのトップリーグ復帰を決める。翌年よりスタートした第1回Vリーグに参戦。国産チームで臨むが、1勝20敗の最下位で実業団リーグへ降格となる。その後は外国人選手を獲得し、チーム強化に努める。その甲斐もあり、1997年の実業団リーグで優勝し、Vリーグへ復帰を果たす。ロシア代表のイリア・サベリエフを加えて挑んだ第4回Vリーグでは開幕から善戦、好調な出だしを見せる。しかし、リーグ開幕直後の1997年12月17日、チームの翌年3月をもっての休部が公表される(同時に男子バスケットボール部も休部が発表された)。理由は「外国人選手や契約選手を登用しなければ上位で戦うことは難しく、当社の企業スポーツの目的と離れてきている」といったものであった。休部発表後もチームは好調をキープし、一時は3位まで順位を上げるも、終盤にサベリエフの体調不良から突如ブレーキがかかり、最終的に10勝11敗の6位で最後のリーグを終えた。

リーグ終了後の1998年3月をもって休部・活動休止。

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エピソード

  • チームの休部後、他チームに移籍しなかったキャプテンの宮本守をはじめとしたOBを中心に、クラブチーム・福岡ワンダーズを立ち上げ活動を行っていた。九州代表としてかながわ・ゆめ国体にも出場(成年男子の部で4位入賞)。しかしこの後、宮本がNCI2000年廃部)に移籍することとなり、それ以来チームは実質活動休止状態となった。
  • チームの愛称である「ギラソール」はスペイン語でひまわり(チーム本拠地北九州市の「市の花」に指定)を意味する。
  • 地元である九州出身の選手の在籍率が非常に高かった。
  • 所属選手であった高尾和行によって2021年に設立された女子バレーボールチーム福岡ギラソールにチーム名が用いられた。

成績

主な成績

プレミアリーグ日本リーグ/Vリーグ
  • 優勝なし
黒鷲旗全日本選抜
  • 優勝 2回(1956年、1958年)
国民体育大会成年男子(6人制)
国民体育大会成年男子(9人制)
全日本総合(9人制)
  • 優勝 4回
全日本実業団(9人制)
  • 優勝 7回

年度別成績

さらに見る 大会名, 順位 ...

在籍していた主な選手

脚注

関連項目

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