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佐々木氏信

鎌倉時代中期の武将・御家人 ウィキペディアから

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佐々木 氏信(ささき うじのぶ)は、鎌倉時代中期の武将御家人佐々木氏支流京極氏の始祖。京極氏信とも。鎌倉の桐ヶ谷[注釈 4]にも住しており、桐谷氏[注釈 5]とも呼ばれた。

概要 凡例佐々木氏信, 時代 ...
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生涯

承久2年(1220年)、後に近江国守護に任ぜられる佐々木信綱と、川崎為重の娘との間に四男として生まれたとされる[3]。2代執権北条義時の娘との間に生まれたとする説もある。

仁治3年(1242年)に父が死去し、江北に在る高島伊香浅井坂田犬上愛智の六郡と京都の京極高辻の館を継ぐ。これにより子孫は後に京極氏と呼ばれるようになり、江南と京都の六角堂近くの館を継いだ三兄・泰綱は佐々木本家を継ぎ六角氏の祖となる。長兄・重綱と次兄・高信も坂田郡大原庄と高島郡田中郷を相続、大原氏高島氏の祖となる。

文永2年(1265年)に引付衆、翌年には評定衆に加わり、弘安6年(1283年)には近江守へと任ぜられ、この頃には後に京極氏の菩提寺となる清滝寺(後の徳源院)を創建している。永仁3年(1295年)5月3日、死去。享年76。

長男の頼氏は桐谷に住み別家を立てた。次男の範頼、三男の満信は共に早世したため、四男の宗綱が家督を継ぐ。

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脚注

参考文献

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