トップQs
タイムライン
チャット
視点
依田道長
ウィキペディアから
Remove ads
依田 道長(よだ どうちょう[1] / みちなが[2]、1845年2月2日(弘化元年12月26日[1][3])- 1923年(大正12年)8月3日[1][2])は、幕末から大正期の豪農[1]、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・熊弥太[4][5]。
経歴
甲斐国山梨郡下井尻村[1](山梨県[2]東山梨郡日下部村[6]、日下部町[3]を経て現山梨市[1]下井尻)で、豪農・依田帯刀の長男として生まれる[3][4][5]。元治元年(1864年)新徴組に加わるが[4][5]、その後帰郷し[5]、新徴組取締の山岡鉄太郎(山岡鉄舟)に入門し撃剣を学んだ[4][5]。上黒駒村(現笛吹市)の武藤藤太と国事に奔走し、勤王運動に加わった[1][4][5]。
明治維新後、明治5年(1872年)下井尻村戸長に、1876年(明治9年)学区取締総理に就任[1][2][4][5][6]。1880年(明治13年)峡中同進会員となり自由民権運動に参画[1][7]。1881年(明治14年)入会山林原野の官有地編入反対運動では中心的な役割を果たした[1][5][8]。
1882年(明治15年[注釈 1])山梨県会議員に選出され2期在任[1][2][4][5][6]。衆議院議員には第3回[9]、第4回総選挙で当選し[10]、連続2期在任した[1][2][6]。第5回総選挙では河口善之助に候補を譲り引退した[4]。
Remove ads
国政選挙歴
- 第2回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1892年2月、自由党)次点落選[9]
- 第3回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1894年3月、自由党)当選[9]
- 第4回衆議院議員総選挙(山梨県第2区、1894年9月、自由党)当選[10]
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads