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八条宮長仁親王
江戸時代前期の日本の皇族。八条宮(桂宮)4代。後西天皇の長男。無品、中務卿 ウィキペディアから
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八条宮長仁親王(はちじょうのみや おさひとしんのう、明暦元年5月14日(1655年6月18日) - 延宝3年6月25日(1675年8月16日))は、江戸時代前期の日本の皇族。世襲親王家の八条宮(桂宮)第4代当主。後西天皇の第一皇子。母は女御明子女王(高松宮好仁親王の王女)。幼称は一宮・若宮・倉宮、または阿茶麿(あちゃまろ)。
寛文5年(1665年)10月穏仁親王が継嗣となる王子の無いまま薨去したため、親王の継嗣として寛文6年(1666年)に宮家を相続した。寛文9年(1669年)親王宣下を受け、長仁と命名される。同年11月元服する。中務卿に任ぜられる。延宝3年(1675年)6月25日薨去。21歳。法名は霊照院[1]。
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脚注
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