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八条宮尚仁親王
江戸時代前期の皇族。八条宮(桂宮)5代。後西天皇の八男。無品、弾正尹 ウィキペディアから
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八条宮尚仁親王(はちじょうのみや なおひとしんのう、寛文11年11月9日(1671年12月10日) - 元禄2年8月6日(1689年9月19日))は、江戸時代前期の日本の皇族。世襲親王家の八条宮(桂宮)第5代当主。後西天皇の第八皇子。母は光源寺智秀の女で梅小路定矩の養女の梅小路定子。幼称は員宮(かずのみや)。
延宝3年(1675年)長仁親王の遺言により、八条宮家の継嗣となり、貞享元年(1684年)11月親王宣下を受け、尚仁と命名される。貞享3年(1686年)3月元服し、弾正尹に任ぜられる。元禄2年8月6日(1689年)薨去。19歳。法名は無量光院。
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脚注
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