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内藤忠清
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内藤 忠清(ないとう ただきよ)は、戦国時代の武将。徳川氏の家臣。
生涯
徳川氏譜代の内藤氏の一族。叔父に内藤正成、大伯父に内藤清長がいる。最初、徳川家康の小姓として仕える。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは敵首級を得る武功を立てた。天正18年(1590年)小田原征伐では使番として従軍した。その後、徳川秀忠付きとなり、石川重次とともに普請奉行に任じられ、また武蔵足立郡・上総長柄郡に2000石を与えられた。慶長13年(1608年)藤堂高虎・松平重勝に従って丹波篠山城の普請を奉行している。
参考文献
- 「寛政重修諸家譜」巻第810
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