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冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-

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冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(アドベンチャーかみかぜ[注釈 1]The Kamikaze Adventurer)は、1981年日本映画主演千葉真一監督鷹森立一製作東映京都撮影所[3]配給東映[4]カラービスタビジョン、上映時間:115分。過去の東映活劇とは異なる仕上がりの稀有な作品となっている[5][6]

概要 冒険者カミカゼ, 監督 ...
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概要

大学が不正に蓄えた億単位の金を強奪後、横取りしようと企む凶悪な犯罪組織と一進一退の駆け引きと争いを繰り広げる[3][7]、とてつもない冒険に人生の夢を賭ける2人の男と娘の活躍が[4]、陸・海・空とテンポよくスピーディーに展開していく、アクション青春冒険を描いた物語である[4][7]。これまでの千葉真一は大概、空手拳法の達人や探偵刑事ヤクザ暗殺者スナイパー剣豪自衛官忍者などを演じてきたが、本作ではオリンピック選手が引退し、ショボクレた大学職員でごく普通の市民である主人公に扮した[6]。そのため格闘技は意識的に避けており、乗馬スキューバダイビング水上スキー器械体操と、複葉機グライダーハンググライダーモーガンジープなどを駆使し、スピーディーかつ迫力あるシーンが展開[3][5]。もっともスタントは従来通り取り入れられ、千葉と真田広之吹き替えなしで演じた。彼らに秋吉久美子が演じるヒロインを加えて、一度人生に挫折した壮年男性・若者・妙齢の美女が再び夢を抱き、ストーリーに冒険・ロマン・ユーモアが盛り込まれている[5][6]

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ストーリー

かつてオリンピック日本代表の器械体操選手で今は東西大学総務部所属の神風大介は、休みをとっては複葉機でひたすら飛んでいた。そんなある日、飛行中に機が不調をきたし、煙を吐きながら墜落していく途上、乗馬をしていたジョッキー志願の娘・金城ケイを驚かせて、落馬させてしまった。大介も傷だらけになるものの、何とか無事に生還。東西大学航空クラブの仲間・伴正平に修理を依頼している時、大介の彼女・立花みどりから、至急帰るよう電話があった。一方ケイは馬をケガさせて牧場をクビになり、行く宛てもなく彷徨っていたが、偶然にも帰宅する途中の大介と知り合う。大介はケイに迷惑をかけた詫びに後日相談に乗ると約束し、一旦別れた。

東西大学では巨額の裏金で入学させた不祥事が明るみに出て、対象となる学生を次々と退学させ、星野明もその一人であった。卒業者は除籍され、大介も不正入学者であったことから、大学からの一方的な解雇通知を受ける。みどりはオリンピック代表となる大介を大学側が不正してまで入学させながら、トカゲの尻尾切りすることに怒りを滲ませ、人形工房の経営で多額の負債を抱えていたこともあり、不正な裏金を奪いたいと言い出す。

不正入学者を退学・除籍にすることで世間の批判をかわそうとしている大学には、裏金が蓄財されたままで痛くも痒くもない状態であった。大介は現金輸送ルートを知っていたことから、みどり、同じく除籍された後輩・同僚の海野九三と共に、現金で7億が集まる入学金を強奪する計画を練り始める。一方の明とバンド仲間は大学のやり方に立腹し、同様に入学金を奪おうと気勢を上げていた。ケイは2つのグループによる強奪戦に、ひょんなことから巻き込まれてしまう。表に出せない金の存在を嗅ぎつけた堂島有三率いる組織暴力団が、横取りしようと有無を言わせず襲撃してきたことから、大介・明・ケイの冒険が始まる。

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キャスト

スタッフ

※クレジットタイトル順。

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製作

要約
視点

原案

千葉真一は「好きな映画を作っていい」と日下部五朗に言われたので[5][8]、『冒険者たち』をオマージュし、『明日に向って撃て!』、『スケアクロウ』のテイストを加えた原案を提出した[5][9]。『冒険者たち』を観るたびに千葉は「こんな映画を作れたらなあ…」と思い、若者アラン・ドロン)と壮年リノ・ヴァンチュラ)のコンビの一方を演じて映画化したいと長年暖めていた構想だった[5]。愛弟子・真田広之がコンビを組めるまでに成長したので、ようやく映画化できると考え、迷うことなく提案し、製作に至ることとなる[5]。秋吉久美子は結婚して男児を出産[10]。その直後に復帰したばかりで、『の・ようなもの』、『さらば愛しき大地』に続いてのクランクインだった[10]

脚本

内藤誠大島渚と書いていた『日本の黒幕』が中止になり、東映からのギャランティが払われなかったことを気にした日下部五朗が、本作を代替として脚本を依頼してきたと述べている[11]。急遽のオファーだったので内藤は、『映画芸術』1973年度ベストテン選考で内藤の『ネオンくらげ』を唯一1位に選んだ桂千穂を挙げ、共同で執筆したいと条件付きの受諾をし、内藤と桂に中島貞夫が加わり、脚本は完成した[11]

撮影

鷹森立一は7年ぶりに映画を監督することになった[3]東映京都撮影所で1981年9月末か10月始めにクランクイン[12]。同年10月10日から長野県霧ヶ峰沖縄県、10月21日から長崎県ロケが行われた[12]

クラシック・ギターフランシス・ゴヤが奏でるテーマ曲は、本作の数年前に千葉真一がヨーロッパの街中で耳にし、ありとあらゆる手立てを使って探し、ようやくオランダで見つけた[5]。鷹森立一も気に入り[5]、もの悲しさがある旋律に映像を組み合わせ[5][13]ロケーション撮影の教会からテーマ曲を流しての撮影など[13]、センシティブな演出をしている[6]長崎県式見港と沖合いの軍艦島長野県諏訪市霧ヶ峰高原などで撮影が行われ、この期間に21歳の誕生日を迎えた真田広之のために、千葉・秋吉久美子・川津祐介ら俳優と映画スタッフが心のこもった楽しいバースデイ・パーティーを開いて祝った[13]

題名

もともとのタイトルは千葉真一、サニー千葉エンタープライズから出向したプロデューサーの佐藤公彦、真田広之の3人で命名した『冒険者たちのメロディー』で主題歌のタイトルと同じだった[14]。しかし岡田茂 (東映) は「フランス映画の真似」と認めず、『爆発! カミカゼ野郎』に変更しようとする[9][14]。千葉が異を唱えるものの、岡田は頑として聞かないため、「“カミカゼ”を残す替わりに“爆発”は外す」と妥協案を示し、佐藤も「アドベンチャー」と英語を加えるように口添えし、題名が決まった[14]。千葉は「フランシス・ゴヤの音楽で出演者やスタッフ皆が盛り上がっていたのに…。タイトルは大事なんですけどね」と語っている[8]

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国内興行

ぶっちぎり横浜銀蠅』と併映され[注釈 5][3][9][16]配給収入は2億円だった[1]

参考文献

  • 冒険者アドベンチャーカミカゼ」(パンフレット)『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』、東映株式会社映像事業部、1981年11月7日、1頁。

脚注

外部リンク

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