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前田房之助

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前田房之助
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前田 房之助[3](まえだ ふさのすけ[5]1884年明治17年)9月15日 - 1965年昭和40年)2月18日[2])は、日本政治家衆議院議員)[2][4][6]実業家

概要 生年月日, 出生地 ...
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前田房之助

来歴・人物

兵庫県武庫郡大社村生まれ[1][7]。前田四郎兵衛の三男[6][8][9]。先代の四郎兵衛は大社村長を務めた[3]1907年(明治40年)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業[2][6][9][10]1909年(明治42年)、家督を相続した[6][9][11]

武庫郡会議員、大社村長等に挙げられる[6][11]1924年大正13年)の第15回総選挙政友本党公認で立候補し初当選[12]1927年(昭和2年)に政友本党が憲政会と合同して立憲民政党を結党したため、前田も民政党に所属し同党の総務、政調会長を務めた。

西宮土地、宝塚尼崎電気鉄道社長を務めた[2]第2次若槻内閣で大蔵参与官を務めた後、1936年(昭和11年)には広田内閣で逓信政務次官1944年(昭和19年)には小磯内閣で運輸通信政務次官となる[5]

戦後日本進歩党の結党に参加したが、戦時中翼賛政治会の総務を務めていたため公職追放に遭う。追放解除後の1955年(昭和30年)、日本民主党公認で第27回総選挙に出馬して当選し政界に返り咲いた[13]。その後日本民主党全国委員長、自由民主党総務を歴任した。衆議院議員選挙に通算8回当選した。

1964年(昭和39年)、勲一等瑞宝章受章[2]。住所は兵庫県武庫郡大社村[8][11]、西宮市中前田[9]

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政策・主張

政見綱領

  • 通商の自由、資源の公開、人口分布の合理化、並に東亜安定を根幹とする自主的外交政策の確立[7]
  • 東亜安全を目標とする経済的且自主的国防計画の樹立[7]
  • 産業、国防、財政の三全強化[7]
  • 進取的貿易政策の確立[7]
  • 農漁山村並に中小商工業の更生対策[7]

家族・親族

前田家

脚注・出典

参考文献

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