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加治寿衛吉

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加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(明治元年8月23日[1][2][3][4])- 1926年大正15年)2月25日[5])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員

経歴

讃岐国那珂郡丸亀城下(香川県[5]那珂郡丸亀町[2][3]仲多度郡丸亀町を経て現丸亀市[6])で、丸亀藩士・加治重国の二男として生まれる[2][3][4]郷校で学び、1883年(明治16年)に上京して法律学を研究した[2][3]

自由民権運動に加わり、1890年(明治23年)愛国公党に入党[2][3][4]。その後大同団結運動に参加し、国民自由党に入党してその勢力の拡張に尽力した[2][3]

1897年(明治30年)頃から実業界に入り、鹿島鉄道発起人、皇国生命保険会社顧問に就任[2][3][4]。1906年(明治39年)東京通信社に入社し、その後社長を務めた[2][3][5][6]。その他、万世銀行取締役兼支配人、東京証券信託取締役、特許豆乳取締役、東京実業銀行監査役などに在任した[2][3][4]。また鉱山業も営んだ[5][6]

1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で香川県丸亀市から出馬して初当選[2][4][7]第11回第12回総選挙では白川友一と激しく戦ったがいずも落選[3][7]。白川が1916年(大正5年)1月19日、衆議院議員選挙法違反事件で有罪が確定して議員を退職[8]したため、繰上補充で衆議院議員に就任[5][9]。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙で再選され、衆議院議員に通算3期在任した[5][6]

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国政選挙歴

脚注

参考文献

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