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十八成浜
宮城県石巻市の大字 ウィキペディアから
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十八成浜(くぐなりはま)は、宮城県石巻市牡鹿地域内にある大字である。旧牡鹿郡牡鹿町大字十八成浜、旧牡鹿郡鮎川町大字十八成浜、旧牡鹿郡鮎川村大字十八成浜、旧牡鹿郡浜方十八成組十八成浜に相当する[7]。郵便番号は986-2527[8]。住民基本台帳に基づく人口は110人、世帯数は65世帯(2025年4月30日現在)[2]。
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概要
十八成浜は鮎川で盛んであった捕鯨の基地、鮎川への物資を中継地点として繁栄していた。
また、第一種漁港である十八成浜漁港を基地として漁業も盛んであるが、平地が少なく山地が多いため、農業は発達していない。
地理
石巻市の南東部、牡鹿半島の中部に位置し、東は鮎川浜と、西は小渕浜と、北は泊浜と接して、南で石巻湾に面する。
行政区
石巻市は世帯数及び人口の調査、世帯台帳の整備、市行政の周知、連絡、通知のための公文書の配布伝達を円滑に行うために、行政区を定めている[1]。石巻市の例規「石巻市行政委員規則」(2024年2月1日施行)によれば、十八成浜と対応する行政区は以下の通りである[1]。
小字
仙台法務局石巻支局の「石巻市登記所備付地図データ」(2024年10月5日時点)およびデジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリの「宮城県町字マスターデータセット」(2024年8月13日時点)および運輸局公表の「東北運輸局宮城運輸支局住所コード表」(2024年11月1日時点)によれば、牧浜の小字は以下の通りである[9][6][5]。なお、町字IDは「宮城県町字マスターデータセット」(2024年8月13日時点)に基づく。
明治期の小字
宮城県各村字調書によると明治17、18年頃の牧浜の小字は以下の通りである[10]。
- 寺下
- 中平
- 前田
- 坂ノ上
- 葉ノ木沢
- 三本松
- 青ノ角
- ニテボウ
- 山下
- 鮫島
- 中山
- 寺山
- 清崎山
- 大嵐山
- 金剛北
- イボ石山
- 葉ノ木沢上
- 日向山
- 木ナラ山
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歴史
仙台藩政期には大肝煎が住んでいたが、近年では隣接している鮎川浜の商圏となっている。
2005年(平成17年)4月1日に牡鹿郡牡鹿町が石巻市他5町と合併し、石巻市が発足したことにより、牡鹿郡牡鹿町大字十八成浜は石巻市十八成浜となった。
地名の由来
人口
2024年(令和6年)12月末時点での人口は以下の通りである[11]。
また、2020年(令和2年)3月末時点での住民基本台帳による年代別・男女別の人口は以下の通りである[11]。
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施設
- 十八成浜ビーチパーク[12]。
- 陽山寺
文化
交通
鉄道
域内に鉄道は通っていないが、最寄駅は女川駅などが挙げられる。
バス
- ミヤコーバス鮎川線
道路
- 宮城県道2号石巻鮎川線
- 宮城県道220号牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)
小・中学校の学区
東日本大震災
十八成浜での東日本大震災の震度は概ね6弱であったと推測され、2012年時点では域内の犠牲者は5人である[16]。また、126世帯中77世帯(175人)が被災し、40%以上の住民が十八成浜を離れた[17]。
2012年12月時点での域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率・当時の人口(2010年国勢調査によるもの)は以下の通りである[16][18]。
関連項目
- 阿部邦子:域内で民宿を営んでいた。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 牡鹿町誌編纂委員会 編『牡鹿町誌』 上巻、安住重彦、1988年11月20日。
- 大石直正, 難波信雄 編『街道の日本史』 7 平泉と奥州道中、吉川弘文館〈1〉、2003年8月20日。ISBN 4642062076。
- 平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系第4巻 宮城県の地名』平凡社、1998年7月10日。ISBN 4582490042。
- 谷謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年、1-26頁、doi:10.24561/00016186、ISSN 0913-2724、NAID 120006388016。
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脚注
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