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南部鉄道
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南部鉄道(なんぶてつどう)とは、かつて青森県八戸市の尻内駅(現・八戸駅)とその西方にある三戸郡五戸町の五戸駅との間を結んでいた鉄道路線およびその運営会社である。
昭和初期に開業。将来的に秋田県内の毛馬内(十和田南駅)への延伸や、さらに種差海岸へ延長計画のほか、三戸町や十和田市、東北町への延伸構想もあったものの果たせず[1]、1968年5月16日に発生した十勝沖地震によって全線に壊滅的な被害を受け、復旧しないまま廃止となった。
会社は鉄道廃線後、社名を南部バスに変更し、バス専業の会社として存続していたが、経営難のため2017年3月1日付で岩手県北自動車へ事業譲渡し破産。2018年4月16日に法人格が消滅した。
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路線データ
青森県 1934年の地図
歴史
※鉄道事業に関する内容のみ。バス事業に関しては、「南部バス#沿革」を参照のこと。
- 1925年(大正14年)4月27日:鉄道免許状下付(三戸郡上長苗代村-同郡五戸町間 動力電気)[2]。
- 1926年(大正15年)2月21日:五戸電気鉄道株式会社として会社設立[3]。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1936年(昭和11年)5月5日:五戸鉄道株式会社に社名変更。
- 1945年(昭和20年)1月1日:南部鉄道株式会社に社名変更。
- 1960年(昭和35年)月日不詳:豊崎駅開業。
- 時期不詳:地蔵岱駅を県立種鶏場前駅へ改称。
- 1968年(昭和43年)5月17日:十勝沖地震により全線運行休止。
- 1969年(昭和44年)4月1日:全線廃止。
- 1970年(昭和45年)5月30日:南部バスに社名変更。
創業当時の社名は五戸電気鉄道であったが、開業から廃線まで電化されたことはなかった。同様のケースとしては水戸電気鉄道[8]、善光寺白馬電鉄[9]、阿波電気軌道[10]がある。
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十勝沖地震における被害
1968年5月16日に発生した十勝沖地震によって、路盤の沈下・決壊・亀裂・土砂流出などの路線被害が49箇所に上り、停車場・待合室・倉庫・ホームの損壊などの鉄道設備被害が16箇所、電柱の倒壊30本、傾斜80本と2億円以上に上る被害を受け、数年来の赤字も勘案され、同年5月18日には復旧を断念、翌年4月1日での廃線が決定した[11]。
運行形態
1930年8月20日改正当時
- 運行本数:日12往復(4 - 19時台)
- 所要時間:全線32分
1967年9月10日当時
- 運行本数:日12往復(7 - 20時台)
- 所要時間:全線27 - 38分
駅一覧
- 全駅青森県内に所在した。所在地の町村名、接続路線の線名・事業者名は休止当時のもの。
尻内駅は八戸駅新幹線ホーム付近(旧・八戸運輸区近く)にあった。また五戸駅跡地は岩手県北バス南部支社五戸営業所となっている。
- 廃止駅
- 上七崎駅 - 1929年(昭和4年)10月10日廃止。
輸送・収支実績
- 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年度版
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車両
蒸気機関車
- 1 → C251, 2
- 3 → 961
- 281
- C319
- C400, C401
ディーゼル機関車

客車
気動車
- キハ1 → ハ1, キハ2 → ハ2
- キハ103 → ハフ103, キハ104 → キハ105 → ハフ105
- 1930年日本車輌製造製の鋼製車体を持つ2軸ガソリンカーだったが、戦時中の燃料統制に伴う気動車使用中止により機関を降ろして客車化された。
- ハ40001 → キハ40001, ハ40002 → キハ40002 → ハフ40002
- 1949年に国鉄キハ40000形(キハ40006, キハ40011)の払い下げを受けたもの。当初は機関を搭載せず客車として使用された後、ディーゼル機関を搭載した。その後、キハ40002は機関を降ろして再び客車となっている。
- キハ41001
- 1949年9月30日付けで国鉄キハ41000形(キハ41094)の払い下げを受けたもの。1963年に機関をDMF13に換装し、液体式に改造された。
- キハ41003
貨車
- ワフ1, ワフ2
- ワフ5
- ワム200 - ワム202
- ト1 - ト13
- トム51 - トム55
- トム100, トム101
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逸話
脚注
参考文献
関連項目
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