厚木市立厚木小学校
神奈川県厚木市にある小学校 ウィキペディアから
厚木市立厚木小学校(あつぎしりつ あつぎしょうがっこう)は、神奈川県厚木市寿町にある公立小学校[4]。厚木市内で最も古い小学校である[5][6]。
厚木市立厚木小学校 | |
---|---|
![]() | |
過去の名称 |
成思館 ↓ 第1大学区第29中学区第1小区第1番小学成思館 ↓ 公立厚木小学校 ↓ 厚木町立尋常高等厚木小学校 ↓ 神奈川県愛甲郡厚木国民学校 ↓ 厚木町立厚木小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 厚木市 |
理念 | 豊かな人間性をもち、たくましく生きる児童の育成[1] |
校訓 | かんがえる子 やさしい子 がんばる子[1] |
設立年月日 | 1871年(明治4年)[2] |
創立者 | 烏山県知事[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B114221220014 |
所在地 | 〒243-0003 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
明治維新後の廃藩置県により、旧烏山藩から県となった烏山県知事の命を受け、1871年(明治4年)に「成思館」として設立され、寺院「長福寺」内に校舎を置いて始まったという非常に長い歴史を持つ[2][5][6]。
2022年(令和4年)には、開校150周年を迎えて記念行事が実施された[5][6]。
旧校舎跡地
開校当初は「長福寺」内に校舎を置いていたが、現在の厚木市中町1丁目4番1号[2](本厚木駅北口)に校舎を建設し、1902年(明治35年)11月に校地を移転[2]。この地にあった旧校舎にて長年授業を行ってきた[2]。
関東大震災による被災や第二次世界大戦の終戦を経て[2][5][6]、戦後の1970年(昭和45年)2月、旧校舎からさらに北側の現在地(寿町3丁目15番34号[3]、神奈川県立厚木東高等学校が移転した跡地)に新校舎を建設して移転した[2]。
旧校舎の跡地には現在、市の公共施設「厚木市保健福祉センター」(厚木市社会福祉協議会を併設)があり、敷地内には「厚木小学校跡記念碑」が建立されている[7][8]。
なお厚木小学校の移転後、1976年(昭和51年)には本厚木駅の立体化が完成[9]。1980年代には本厚木駅北口の開発が進み、旧校舎跡地の西側(中町1丁目5番10号)には、1981年(昭和56年)にダックシティ厚木百貨店が開業、のちに厚木ビブレ→厚木サティを経て、2011年(平成23年)3月1日以降はイオン厚木店として営業している[10]。また、ダックシティ厚木百貨店(現:イオン厚木店)の南側[11]には、厚木バスセンター(中町1丁目5番)[12][13]が1984年(昭和59年)に[要出典]開業した。
沿革
- 1871年(明治4年)
- 1873年(明治6年)5月 - 学制発布により公立小学校となり、「第1大学区第29中学区第1小区第1番小学成思館」へ改称[2]。
- 1876年(明治9年)4月 - 第2次府県統合により、当地は足柄県から神奈川県へ移管される。
- 1886年(明治19年)4月 - 第一次小学校令発布により、公立厚木小学校へ改称[2]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により厚木町が発足、愛甲郡役所が置かれる。
- 1891年(明治24年)4月 - 第二次小学校令発布により尋常高等小学校となり、厚木町立尋常高等厚木小学校へ改称[2]。
- 1902年(明治35年)11月 - 校舎を建設し移転[2](現在の厚木市中町1丁目4-1[2]、厚木市保健福祉センターの場所[7][8])。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災で被災し校舎が倒壊する[2]。
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 校地南側に小田急小田原線相模厚木駅(現:本厚木駅)が開業、現市域内に鉄道路線が開通する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により国民学校となり、神奈川県愛甲郡厚木国民学校へ改称[2]。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 戦後の学制改革により、厚木町立厚木小学校へ改称[2]。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 厚木町ほか1町4村が合併して市制施行し厚木市が発足。これに伴い、厚木市立厚木小学校へ改称[2]。
- 1956年(昭和31年)3月 - 校歌を制定[2]。
- 1961年(昭和36年)1月 - 市内で初となる完全給食を開始[2]。
- 1966年(昭和41年)- 厚木東高等学校が寿町から王子へ移転。
- 1970年(昭和45年)2月 - 新校舎へ移転[2](現在地、現在の厚木市寿町3丁目15-34[3]。厚木東高等学校の跡地)。
- 1972年(昭和47年)7月 - 創立100周年記念式典を開催[2]。
- 1983年(昭和58年)3月 - 南校舎を増築[2]。
- 1986年(昭和61年)- 体育館・運動場を整備、南北校舎の改造などを行う[2]。
- 1993年(平成5年)7月 - 中村雨紅記念歌碑を建立[2]。
- 2011年(平成23年)10月 - 創立140周年記念行事を「厚小カーニバル」で開催[2]。
- 2013年(平成25年)給食調理場が完成、稼働開始[2]。
- 2016年(平成28年)3月 - 普通教室の冷暖房工事が完了[2]。
- 2022年(令和4年)
通学区域
主な進学先
市内の公立中学校へ進学する際の主な進学先は以下のとおり。
交通アクセス
周辺
ゆかりの人物・著名人
開校から150年の間に、約18,000人の卒業生を送り出している[6]。
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.