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原口智生

日本の特殊メイクアーティスト、造型師、映画監督、映画特技監督 ウィキペディアから

原口智生
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原口 智生(はらぐち ともお、1960年5月26日[1] - )は日本特殊メイクアーティスト、造型師、映画監督、映画特技監督福岡県生まれ[1][2][3]

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2016年

人物・来歴

遠縁に東宝の映画録音・サウンドミキシング技師であった下永尚がいたことから[4][注釈 1]、幼少期から東宝特撮の現場に入り浸る[2][6]。高校生時代には竹内博が主催する「怪獣倶楽部」に所属していた[7]。また、同時期には国際放映の殺陣グループ安川剣友会で付き人を務めており、人手が足りない時には『電人ザボーガー』の竜マンや『冒険ロックバット』のブレイザーなど、スーツアクターの応援を務めたこともあった[7]

和光大学人文学部在学中より、人形師の川本喜八郎に師事[3]。中退後、1979年造形工房モンスターズに所属して[3]1984年に独立し、特殊メイク工房FUNHOUSE(現:中州プロ)を設立した[3]後、映画テレビなどで活躍する。1991年にオリジナルビデオ『ミカドロイド』で監督デビュー[8]。2000年に『さくや妖怪伝』で映画監督デビュー[1]

1988年にはベルギーブリュッセル国際ファンタスティック映画祭スペシャル・メイクアップ・コンペティションにおいてグランプリを受賞。また、2001年カナダモントリオール世界映画祭Fantasia2001コンペティションにおいて準グランプリを受賞した。

アニメーション自主制作集団であるグループえびせんの同人。

2004年に公開の映画『恋の門』で知り合った漫画家の刹奈と結婚するが、2005年12月に死別した[9][10]

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エピソード

『スターウルフ』でのアルバイト[2]
高校生時代に所属していた安川剣友会の紹介で円谷プロダクションのテレビドラマ『スターウルフ』にアルバイトの美術スタッフとして参加している。この時の制作現場は東映の『宇宙からのメッセージ』の制作にフリーの特撮美術スタッフが駆り出されていたため人材不足となっており、原口以外のアルバイトは初日で逃げ出してしまったため、『宇宙からのメッセージ』の制作終了までは原口と美術の山口修の二人で美術を手がけていた。
また『スターウルフ』のアクションを担当していた富士スポーツに安川剣友会の先輩がいたことからアクションにも参加している。関連書籍など[11][12]でウルフアタッカー団員として紹介されることが多いスチールの一人は原口である。
プロップ収集家
特撮作品のプロップ収集家としても知られ[1]、撮影所に出入りしていた少年時代から壊れたミニチュアなどを貰っていた[13]。2008年より、ホビージャパンで復刊した雑誌『宇宙船』にて自身の収集・修復品を紹介する「夢のかけら」を連載[14]。2021年には連載をまとめた写真集が発売された。
自身の所蔵品を撮影やイベントなどに提供することもある。『ウルトラマンメビウス』に登場したガンクルセイダーやGUYSアローは、原口の所蔵する『マイティジャック』のコンクルーダーや『帰ってきたウルトラマン』のマットアローのプロップを複製したものを撮影で使用している[1]
原口の収集・修復活動をきっかけとして、2012年に『館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』が開催され、その後アニメ特撮アーカイブ機構の設立へとつながった[14]。『特撮博物館』では集めた残骸から復元した『マイティジャック』のマイティ号を展示している[13]
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参加作品

特殊メイク、造型

企画

監督

脚注

参考文献

外部リンク

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