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異人たちとの夏 (映画)

大林宣彦の映画 ウィキペディアから

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異人たちとの夏』(いじんたちとのなつ)は、1988年日本ファンタジードラマ映画。監督は大林宣彦、出演は風間杜夫片岡鶴太郎秋吉久美子など。原作は山田太一の1987年の同名小説

概要 異人たちとの夏, 監督 ...

なお、同原作は2023年イギリスで『異人たち』として再映画化されている[1]

ストーリー

壮年の人気シナリオライターである原田は妻子と別れ、マンションに一人暮らし。ある晩、若いケイという女性が、飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきた。「飲みきれないから」という同じマンションの住人である彼女を冷たく追い返す。数日後、原田は幼い頃に住んでいた浅草で、彼が12歳のときに交通事故死した両親に出会う。原田は早くに死に別れた両親が懐かしく、少年だった頃のように両親の元へ通い出す。「ランニングになりな」とか「言ってる先からこぼして」などという言葉に甘える。

原田はそこで、ケイという女性とも出会う。チーズ占いで木炭の灰をまぶしたヤギのチーズを選ぶと、「傲慢な性格」だといわれる。不思議な女性だと感じながら彼女と愛し合うようになる。父とキャッチボールをしたり、母手作りのアイスクリームを食べたり、徐々に素直さを取り戻して行く。両親を失ってから一度も泣いたことはなく、強がって生きてきたのだった。

しかし2つの出会いと共に、原田の身体はみるみる衰弱していく。ケイもまたあの日、チーズナイフで自殺していたのだった。「たとえ妖怪、バケモノでもかまわない。あの楽しさ、嬉しさは忘れられない」というが、別れの時が来る。両親と、浅草今半別館ですき焼きを食べることになるが、「たくさん食べてよ」といっても、ふたりは微笑むだけだった。

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スタッフ

キャスト

製作

要約
視点

企画

元々、松竹からの大林への発注は夏に観客をぞっとさせるゾンビ映画だった[2]。一人の女がいろんな人を惑わせて、都会のマンションでホラーを描くという薄いシノプシスが松竹から送られてきた[1][2]。公開時に物議を醸したエンディングのCGはその名残りである[2]

キャスティング

秋吉久美子はオファーを受けたときは、人気のないビルに住む主人公が小悪魔的な恋人に翻弄される『危険な情事』のようなサスペンスと聞かされた、と話している[1]。初期構想では、魔女役は秋吉(実際には主人公の母親役)が演じる予定だった[1][3]。ところが秋吉は大林から「誰が何と言っても母親役はあなたです」などと達筆で綴られた手紙をもらった[1]。秋吉は当時30代前半、母親役でのオファーは初めてで、台本を読んでもいかにも母親が普通に言いそうなセリフばかりで、自分が経験のない母親役をどう演じればいいのかクランクイン当日まで分からなかったという[1]。オレンジ色のやわらかな光で満たされた木造アパートの六畳一間に、細部まで緻密に作り込まれた照明や美術を見て、秋吉は瞬時にどう演じたらいいのか理解し、大林に「もう心配ありませんよ、すべてわかりましたから」と伝えたら、大林はキョトンとしていたという[1]。秋吉は「私は一般的、世間的に“自由奔放、小悪魔”といったイメージの報道のされ方をすることが多いのですが、大林監督の作品では全部違うんです。『異人たちの夏』でも、片岡鶴太郎さんが演じる、すぐに仕事を辞めちゃう、稼がないお父さんの横でケラケラ笑っているような自然体のお母さんの役で。大林監督にとっては『それが君だ』という自信があるんですよね。それでお手紙も頂いたくらい」と、やり取りがあったことも明かし、「この作品で、セクシャリティというのは装うものじゃないんだな、ということと、人が『こういうものがセクシャリティ』と決めつけるものではない。それを教えていただいた」となど話した[2][4]。大林は秋吉に母親役を自由に演じさせたが、一度だけ「息子を見る目つきが色っぽすぎるから、もっと自然にしてほしい」と注意した[1]。秋吉は本来矛盾するはずの母性と色気を放つ母親役を好演[5]、チャーミングな母親役は、映画の魅力ともに今日も語り継がれている[1][2]

主人公の父親役は、大林が片岡鶴太郎の江戸弁を気に入り抜擢したもの[1][6]。大林は鶴太郎がまだ無名だった1978年頃[7]、鶴太郎が劇団未来劇場に出た芝居を観て「エノケン八波むと志渥美清の系譜を引く凄い可能性を持った役者だな」と感想を持っていて[7]、その後、鶴太郎がどんどん売れっ子になり、一緒に仕事をする機会を失ったが、この役なら適役と考え、鶴太郎に「あの頃のあなたの味わいでやってもらえないか」とオファーした[7]。ところが原作者の山田が「あんな太ったヤツの寿司は食えない」と反対した。それを聞いた鶴太郎は必死のトレーニングにより減量し、撮影に間に合わせた[6]

大林監督が撮影中の笑顔を絶やさず、秋吉、片岡、風間の3人はとても仲良くなったという[1]

大林は父親役にエノケンをイメージし、主題曲はエノケンの浅草オペラから「リオ・リタ」を起用した[3][8]

撮影

映画全体の87パーセントがセットでの撮影[2]松竹大船撮影所に浅草の佇まいが再現された[7]。撮影は1988年春[7]

大林映画には珍しく、名取が扮する魔女(ケイ)と風間の大胆なベッドシーンがある。

ケイ(藤野桂)が宙に浮き形相が変わるシーンでは、500万円を費やしてハイビジョンが使用された[9]

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評価

  • 雑誌『シティロード』の封切時の映画批評★★★★★…ぜったいに見る価値あり! ★★★★…かなり面白かったです ★★★…見て損はないと思うよ ★★…面白さは個人の発見だから ★…どういうふうに見るかだね)。出典:[10]。以下、ママ
    • 川口敦子「あちらとこちらと思っていたらこちらもやっぱりあちらだった、という設定は“どんな顔”“こんな顔”と安心がたちまち突き崩されるあの“むじな”話的大逆転があってこそ生きてくるんだと思う、とすればびんびんに作り上げたあちらの世界に対し、こちらの世界の自然さがいまひとつで自然でないのがウラメシ~、とはいうものの片岡、秋吉の夏姿はなかなか素敵」(★★★)。
    • 中野翠「地下鉄から奇怪体験に滑り込んでいくところジャック・フィニイの『レベル3』で、あとは『ゲイルズバーグの春を愛す』みたいだ。私はこういうアイデアのある映画や小説がすごく好き。秋吉久美子が昔風の安っぽい花柄ワンピースが妙に似合っていた。名取裕子のシーンはかったるいですね。あの役は小林麻美でしょ」(★★★★)。
    • 松田政男「本年度ベストワンに推すべきか、それともワーストワンなのか。ベッドシーンも濃厚な大林宣彦の大変身を目の当たりにして、迷いに迷っている最中だ。主人公の風間を誘い込む鶴太郎=久美子は善霊、裕子は悪霊という二分法に異和が残り、その異和こそが一篇の主題とも見えて〈異人たち〉の側に思い入れれば入れるほど跳ね返えされる構造になっているからだろう」(★★★★★)。
    • 利重剛「この映画、期待している人ってほとんどいないんじゃない? だからその分だけ“案外面白かった”と思う人が多いんじゃないかな、ひどい言い方だけど」(★★★)。
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受賞歴

出典[11]

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出典

参考文献

外部リンク

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