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原尻束

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原尻 束(はらじり つかね、1894年明治27年)1月8日[1] - 1978年昭和53年)7月13日[2])は、昭和期の農業経営者、実業家政治家衆議院議員大分県大野郡緒方村長。

経歴

大分県[2]大野郡牧口村雨堤(清川村雨堤[3]を経て現豊後大野市)で生まれる。成人後、同郡緒方村大字井上[1]緒方町を経て現:豊後大野市)の原尻家の養子となる[3]大分師範学校専攻科を卒業し郡内で代用教員となる[3]。その後、上京して東京物理学校(現東京理科大学)高等師範科で学んだが[2]、1925年(大正14年)中退して近衛騎兵連隊に入隊[3]。除隊後に帰郷し[3]、農業を営む[1][2]

1931年(昭和6年)緒方村収入役に就任[3]。1929年(昭和14年)緒方村長となる[2][3]。食料増産、銃後防衛の強化に尽力し4年間在任した[3]。その後、終戦まで米穀多収穫、農村問題の解決などの研究に取り組む[3]。その他、緒方村銃後々援会長、大野郡三重区司法保護委員会参事なども務めた[2]

戦後、日本農民党を結成し農村開放を主張[3]。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から出馬して当選し[3][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、協同民主党政策調査会復興部長などを務めた[2]。その後、公職追放となった[5]

1950年(昭和25年)報徳土建を設立して初代代表取締役社長に就任[2][3]。1955(昭和30年)緒方町議会議員に選出され1期在任した[3]

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国政選挙歴

脚注

参考文献

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