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原田文也

日本の政治家 ウィキペディアから

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原田 文也(はらた ぶんや[1][2]1916年大正5年)4月18日[1][2][3] - 2000年平成12年)12月12日[2])は、昭和から平成初期の政治家。長野県茅野市長。

来歴

長野県諏訪郡玉川村(現茅野市)で、原田浜三郎、なか の二男として生まれた[1]早稲田大学商学部聴講生(講義録)修了[1][3]。1932年(昭和7年)伊勢丹に入社し[1][2]、その後、2年間兵役に就いた[1]。1940年(昭和15年)日立航空機に移り[2]、1945年(昭和20年)玉川村役場に入り[1][3][2]、1852年(昭和27年)収入役に就任[3][2]。1955年(昭和30年)合併で茅野町収入役となる[1][3]。茅野市発足後、1958年(昭和33年)収入役、1963年(昭和38年)助役となる[1][3][2]。1967年(昭和42年)に退職し、東洋精機興業に入社し事業部副部長に就任[1]

1971年(昭和46年)4月、茅野市長選挙に当選し[1][3]、6期在任して1995年(平成7年)4月に退任した[2]。在任中は茅野駅周辺市街地の再開発、工業団地の造成、公共下水道の整備などに尽力した[3]。その他、茅野市観光連盟会長、長野県国民健康保険団体連合会長、茅野冨士見原消防組合長、市森林組合長、市体育協会長などを歴任した[1]

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上原城諏訪氏居館跡の石碑。茅野市長、原田文也書と刻されている。
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栄典

  • 1995年(平成7年)勲三等瑞宝章受章[2]
  • 死没日付をもって従五位に叙された[4]

脚注

参考文献

外部リンク

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