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上出裕也
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上出 裕也(かみで ひろや、1964年9月23日 - )は、京都府京都市出身[1]のプロゴルファー。
来歴
15歳からゴルフを始め、宮本康弘に師事し、1986年にプロ入りする[2]。
1989年には日経カップ 中村寅吉メモリアルで渡辺司・中嶋常幸と並んでの7位タイ[3]、1990年の関西プロでは平石武則・中村彰男・甲斐俊光と並んでの10位タイ[4]、1990年の大京オープンでは藤木三郎・福沢孝秋・入野太・真板潔と並んでの9位タイ[5]に入った。
1990年のデサント大阪オープンでは初日に曽根保夫と共に66をマークして首位タイ[6]でスタートし、最終日には69をマークして松井角次に並ばれたが[7]、プレーオフで松井を下して[7]初優勝[2]。
1991年のマルマンオープンでは2日目に66をマークして初日30位タイ[8]から一気に金子柱憲、イアン・ウーズナム(ウェールズ)、中川敏明と並んでの首位タイ[9]に浮上し、3日目には4位[10]に着け、最終日にはウーズナムと共にバレント・フランクリン(カナダ)と並んでの5位タイ[11]に入った。
1991年の関西オープンでは3日目に68をマークして初日44位タイ→2日目19位タイから[8]大井手哲・高崎龍雄・井戸木鴻樹・杉原輝雄と並んでの6位タイ[12]に浮上し、最終日には渋谷稔也・甲斐俊光と並んでの4位タイ[13]に入った。
1993年のNST新潟オープンでは3日目に67をマークして初日19位タイ→2日目33位タイから[14]飯合肇と並んでの8位タイ[15]に浮上し、最終日には69をマークして[14]飯合と共にサムソン・ギムソン(シンガポール)、金子と並んでの6位タイ[16]に入った。
1994年のアサヒビール・ゴルフダイジェストでは2日目に65をマークして[17]泉川ピートと並んでの首位タイ[18]に立ち、最終日には68をマークして[17]佐々木久行と並んでの7位タイ[19]に入った。
1994年の大京オープンでは最終日に64をマークして[17]木村政信と並んでの10位タイ[20]に入った。
1995年のPGAフィランソロピートーナメントではリチャード・バックウェル(オーストラリア)、米山剛と並んでの10位タイ[21]、ヨネックスオープン広島では真板潔・吉野展弘と並んでの4位タイ[22]に入った。
2000年には三菱自動車トーナメントからツアーに出場して1打や2打で予選落ちを続けるが、PGAフィランソロピーでは1998年のKBCオーガスタ(51位タイ)以来となる予選通過を決めた[1]。
2002年には関西オープンで優勝し[23]、2011年の日本プロ[24]を最後にレギュラーツアーから引退。
2025年の関西プログランドシニアでは1オーバー8位からスタートした最終日に5バーディ・4ボギーの69で回り、140ストローク、イーブンパーで逆転優勝を飾った[25]。
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主な優勝
- レギュラー
- 1990年 - デサント大阪オープン
- 1993年 - 兵庫県オープン
- 2002年 - 関西オープン
- シニア
- 2025年 - 関西プログランドシニア
脚注
外部リンク
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