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森本俊治
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森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )は、福岡県北九州市出身[1]のプロゴルファー。
来歴
要約
視点
1974年の中部オープンでは初日に69をマークして首位[3]でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位[4]に入った。
1979年の関西プロでは55人がアンダーパーを記録する出足となった初日に4アンダー68をマークし、上野忠美・小栗正光・松田司郎・入江勉・山本善隆・秋富由利夫・松本紀彦と並ぶ5位タイグループでスタートする[5]。
1979年の日本プロでは初日を3アンダー69で常陸文男・山本善・鈴村照男・東章・中村通・石井裕士・鷹巣南雄・渡辺三男・杉原輝雄と並んでの10位タイでスタートした[6]。
1983年のゴルフダイジェストトーナメントでは初日を河野高明・鈴木弘一・青木功・金子柱憲・吉武恵治・鈴村照・金井清一と共に69の9位タイ[7] [8]でスタートし、2日目も69で尾崎健夫・中嶋常幸・上原宏一と並んでの6位タイ[9]、3日目も69で3日間首位の高橋五月に並んだが[10]、最終日には尾崎健・尾崎直道・上原・宮本康弘・中村・呂西鈞(中華民国)と並んでの8位タイ[11] [12]に入った。
大京オープンでは初日を69で井上幸一・秋富・中松幹雄・草壁政治・中山徹と並んでの5位タイ[13]でスタートし、2日目も69で横島由一の2位[14]に浮上したが、3日目には稲垣太成・井上と並んでの9位タイ[15]に後退し、最終日には森憲二と並んでの10位タイ[16]に入った。同年には関西プロ4位タイ、デサント大阪オープン2位タイなど、賞金ランク68位に入っている[17]。
1984年の兵庫県オープンでは初日を前田新作・甲斐俊光に次ぐと同時に吉野展弘・吉川一雄・井上智夫と並んでの3位タイ[18]でスタートし、デサント大阪オープンでは中村と並んでの2位タイ[19]に入った。
1990年の兵庫県オープンでは初日に69をマークして藤池昇・一岡義典と並んでの6位タイ[20]でスタートし、1991年の関西オープン[21]を最後にレギュラーツアーから引退。
2000年にシニア入り[17]すると、2001年には第1回ファンケルクラシックでは高橋勝成・佐野修一に次ぐと同時に曽根保夫・藤間達雄と並んでの5位タイ[22]に入った。
2002年にはキャッスルヒルオープンで鷹巣らと優勝を争い惜しくも[17]井上久雄・小林富士夫と並んでの5位タイ[23]、アデランスウェルネスオープンでは初日22位タイから追い上げシニア入り後最高となる[17]田中文雄と並んでの4位タイ[24]、日本シニアオープン7位[25]など8試合に出場してベスト10入り5回を記録[17]。
賞金ランキングは32位→25位→11位と年を追うごとに順位を上げて、念願の初シード入りを果たした[17]2003年のキャッスルヒルオープンでは初日に66をマークし、陳志明(中華民国)の2位[26]に入った。
2013年には関西プロゴールドシニアで優勝し[2]、日本プロゴールドシニアでは古市忠夫・陳清波(中華民国)と共にエージシュートを達成[27]。
2014年の関西プロゴールドシニアでは初日首位で大会連覇を狙うも最終日に76とスコアを崩し、トータルイーブンパーでホールアウト[28]。この日のベストスコアをマークした古市忠夫、安定したプレーで両日パープレーの渡辺修と共に10番ホールでのプレーオフとなったが、渡辺がバーディとし、古市と並んでの2位タイ[28]に終わった。
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主な優勝
- 2013年 - 関西プロゴールドシニア
脚注
外部リンク
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