トップQs
タイムライン
チャット
視点

名古屋市立本宿郊外学園

愛知県名古屋市の教育機関 ウィキペディアから

名古屋市立本宿郊外学園
Remove ads

名古屋市立本宿郊外学園(なごやしりつもとじゅくこうがいがくえん)は、愛知県岡崎市上衣文町に所在した名古屋市立の教育機関。

概要 名古屋市立本宿郊外学園, 国公私立の別 ...

沿革

開設から廃止まで

廃止後

Thumb
1967年夏に開設された社会教育施設「岡崎市働く者の山の家」
Thumb
渭信寺境内に建立された「名古屋市立本宿郊外学園の碑」
  • 1967年(昭和42年)夏 - 岡崎市が名古屋市から建物を譲り受け、社会教育施設「岡崎市働く者の山の家」として開設した[7][8][9]。校舎2棟、宿舎2棟、食堂1棟。宿泊室は13室で、大人70人、子ども140人が宿泊可能。戸外にはソフトボール、バレーボール用の運動場、キャンプ地などがあった[9]
  • 1985年(昭和60年)4月 - 「岡崎市働く者の山の家」内に、不登校の小中学生の相談指導機関である「ハートピア岡崎」を開設[10][11][12]。校舎は「ハートピア岡崎」として、寮舎は「働く者の山の家」として使用された[13]
  • 1990年(平成2年)4月 - 文部省が適応指導教室の事業を開始[14][15][16]。ハートピア岡崎もその中に含まれることとなった。
  • 1993年(平成5年)12月31日 - 利用者数の減少などを理由として「岡崎市働く者の山の家」が廃止される[7]
  • 1997年(平成9年)8月15日 - 卒業生らの寄附金により、旧「山の家」が所在した渭信寺境内に記念碑が建立され、除幕式が行われる[17]
  • 2010年(平成22年)1月4日 - 岡崎市は竜美北の旧竜美丘健診センターを改修して、岡崎市教育相談センターを設立した。これに伴い「ハートピア岡崎」は同センターに移った[18][19][20]
Remove ads

歴代学園長

  • 初代 - 榎田里司(1946年1月31日~)[2]
  • 2代 - 深見勇夫(1947年9月1日~)[2]
  • 3代 - 峰澤啓三(1954年6月1日~、1955年4月1日より初代名古屋市立本宿郊外中学校長を兼務)[1]
  • 4代 - 牛田重治(1958年10月1日~)[1]
  • 5代 - 梅本孝之(1964年6月1日~)[1]

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads