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突然変異

生物やウイルスがもつ遺伝物質の質的・量的変化 ウィキペディアから

突然変異
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生物学において、突然変異(とつぜんへんい、: mutation)とは、生物ウイルス、あるいは染色体外DNAにおけるゲノム核酸配列の変化を指す[1]。ウイルスのゲノムはデオキシリボ核酸(DNA)またはリボ核酸(RNA)のいずれかで構成される。突然変異は、DNA複製ウイルス複製有糸分裂減数分裂の過程における誤り、あるいは紫外線によって生じるピリミジン二量体英語版などのDNAの損傷に起因して発生することがある。これらの損傷は、マイクロホモロジー媒介末端結合英語版のような誤り(エラー)を起こしやすい修復経路を経て突然変異を引き起こす場合がある[2]。また、その他の修復過程や[3][4]損傷乗り越え合成のような複製過程における誤りによっても生じる。さらに、可動遺伝因子によるDNA配列の置換挿入英語版欠失によっても突然変異は起こりうる[5][6][7]

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赤いチューリップの花弁を形成した細胞に、体細胞変異英語版が生じた結果、花弁の一部が黄色になっている。
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単一染色体における3つの主要な変異:(1) 欠失、(2) 重複 、(3) 逆位

突然変異は、生物の観察可能な形質(表現型)に変化をもたらす場合もあれば、まったく影響を及ぼさない場合もある。突然変異は、進化免疫系多様性の形成英語版など、正常および異常のさまざまな生物学的過程に関与する。また、突然変異はすべての遺伝的多様性の根源であり、自然選択などの進化的圧力が作用する材料となる。

突然変異は塩基配列に多様な変化を引き起こす。遺伝子領域に生じた変異は、遺伝子産物に影響を与えない場合もあれば、その構造や機能を変化させたり、あるいは遺伝子の機能を完全に失わせる場合もある。突然変異は、遺伝子領域以外英語版にも生じる可能性がある。2007年に行われたショウジョウバエ属(Drosophila)の間における遺伝的変異に関する研究では、遺伝子がコードするタンパク質が突然変異によって変化した場合、その影響は有害である可能性が高く、アミノ酸多型の約70%が有害な影響を持つと推定され、残りは中立的またはわずかに有益であると推定された[8]

突然変異とDNA損傷英語版は、いずれもDNAに生じる主要なエラー形式であるが、両者は本質的に異なる概念である。DNA損傷は、一本鎖または二重鎖の切断、塩基の化学的変性(例:8-ヒドロキシデオキシグアノシン英語版)、多環芳香族炭化水素などの化合物によるDNA付加体の形成など、DNA構造の物理的変化を指す。さらにDNA損傷は酵素によって認識され、損傷を受けていない相補鎖や、利用可能な場合は相同染色体上の非損傷配列を鋳型として、正確に修復される可能性がある。DNA損傷が細胞内に残存した場合、遺伝子の転写が妨げられ、タンパク質への翻訳が阻害される可能性があり、DNA複製の停止や細胞死を引き起こすこともある。一方、突然変異はDNAの塩基配列そのものに生じた変化である。突然変異が新たな塩基対としてDNAに定着した場合は、酵素によって損傷として認識されず、修復されない。細胞レベルでは、突然変異によってタンパク質の機能やその調節機構に変化が生じる可能性がある。また、突然変異は細胞分裂の際にそのまま複製される。細胞集団のレベルにおいては、突然変異を持つ細胞の出現頻度は、その変異が細胞の生存や増殖に及ぼす影響に応じて変動する。このように、DNA損傷と突然変異は明確に区別される概念であるが、DNA損傷はDNA複製や修復の過程で合成エラーを誘発することが多く、それが突然変異の主要な原因の一つであることから、両者は密接に関連している[9]

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概要

要約
視点

突然変異は、遺伝的組換えを通じてDNAの大規模な領域が重複することを伴う場合がある[10]。こうした重複は、新たな遺伝子の進化に必要な素材の重要な供給源であり、動物のゲノムでは100万年あたり数十から数百の遺伝子が重複している[11]。ほとんどの遺伝子は、配列の相同性英語版によって識別可能な共通祖先を持つ、より大きな遺伝子ファミリーに属している[12]。新規遺伝子の生成は、祖先遺伝子の重複および変異、あるいは異なる遺伝子の一部を組換えて新たな機能を持つ組み合わせを形成して行われる[13][14]

この過程では、タンパク質ドメインがそれぞれ独立した特定の機能を担うモジュールとして働き、それらを組み合わせることで、新たな特性を持つタンパク質をコードする遺伝子が形成される[15]。たとえばヒトの眼では、光を感知する構造を形成するために4つの遺伝子が用いられており、うち3つは錐体細胞色覚)、1つは桿体細胞(暗視)に関与している。これら4遺伝子はいずれも、単一の祖先遺伝子に由来する[16]。遺伝子(あるいはゲノム全体)の複製には、機能的冗長性を高めるという利点もある。この冗長性により、一方の遺伝子が元の機能を維持する一方で、もう一方が新たな機能を獲得することが可能となる[17][18]。また、その他の変異によって、もともと非コード領域であったDNAから新たな遺伝子が創出される場合もある[19][20]

染色体数の変化は、染色体内のDNA断片が切断されたのち再配列されるという、さらに大規模な変異を伴うことがある。たとえば、ヒト亜科Homininae)では、2本の染色体が融合してヒト2番染色体英語版が形成された。この融合は他の類人猿系統英語版では起こっておらず、当該の染色体は依然として独立した状態にある[21](参照:染色体#染色体の進化)。進化において、このような染色体の再編成は、個体群間の交配の可能性(遺伝子流動)を低下させることで遺伝的差異を保存し、集団の分化を加速して新たな種の形成を促進する役割を担う可能性がある[22]

トランスポゾンのようにゲノム上を移動可能なDNA配列は、動物や植物の遺伝物質の大部分を占めており、ゲノムの進化において重要な役割を果たしてきた可能性がある[23]。たとえば、ヒトゲノムには100万を超えるAlu配列が存在し、現在では遺伝子発現の制御などの機能に利用されている[24]。これら可動性DNA配列がゲノム内を移動する際には、既存の遺伝子に変異を引き起こしたり、遺伝子を欠失させたりすることで、遺伝的多様性をもたらす可能性がある[6]

致死性のない突然変異は遺伝子プール内に蓄積し、遺伝的変異を増加させる[25]。こうした変化の中には、自然選択によって頻度が抑制されるものがある一方、他の「より有利な」突然変異は蓄積し、適応的変化を引き起こす場合がある。

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後期始新世の蝶 プロドリアス・ペルセポネ英語版Prodryas persephone

たとえば、ある(チョウ)が新たな突然変異を持つ子を産むことがある。これらの突然変異の大部分は形質に影響を与えないが、まれに子孫英語版の体色を変化させ、捕食者から見つかりにくく(または見つかりやすく)するような変異が起こる場合もある。この変化が有利であれば、その蝶の生存率と繁殖成功率がわずかに高まり、時間の経過とともにこの変異を持つ個体が集団内で占める割合が増加する可能性がある[26]

中立突然変異英語版とは、個体の適応度に影響を及ぼさない突然変異と定義される。このような変異は、遺伝的浮動によって時間とともに頻度が増加することがある。大多数の突然変異は、生物の適応度に有意な影響を与えないと考えられている[27][28]。また、DNA修復機構は、ほとんどの塩基配列の変化を恒久的な変異となる前に修復することができる。さらに多くの生物は、不可逆的に変異した体細胞を除去するアポトーシス経路(細胞死経路)のような仕組みを備えている[29]

有益な突然変異は、生存率や繁殖成功率を向上させ、進化的適応に寄与することがある[30][31]

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原因

要約
視点

突然変異には、以下の4つの主要な経路によって生じる。(1)自然発生的な突然変異(分子の自発的変化による)、(2)自然発生的なDNA損傷英語版に対する誤りがちな複製バイパス(誤りがちな損傷乗り越え合成(error-prone translesion synthesis)とも呼ばれる)、(3)DNA修復過程におけるエラー、(4)変異原によって誘発される変異である。また、科学的実験の一環として、研究対象の細胞や生物に意図的に突然変異を導入する場合もある[32]

2017年のある研究では、発がん性の突然変異の66%が偶発的に生じたものであり、29%は環境要因(調査対象は69カ国に及ぶ)、5%は遺伝によるものと報告されている[33]

ヒトでは、平均して約60個の新たな突然変異が子に受け継がれると報告されているが、父親は加齢に伴ってより多くの変異を子に伝える傾向があり、1歳年を取るごとに、子に伝わる変異が2個ずつ増加するとされる[34]

自然発生変異

自然発生変異(spontaneous mutation)は、健康で汚染のない細胞においても、ゼロではない確率で発生する。たとえば、自然に生じる酸化的DNA損傷は、ヒトでは1細胞あたり1日1万回、ラット英語版では同じく1日あたり10万回発生すると推定されている[35]。自然発生変異は、次のような特定の機構によって特徴づけられる[36]

  • 互変異性(tautomerism)
    水素原子の位置が再配置されることにより、塩基の水素結合パターンが変化し、複製時に誤った塩基対形成を引き起こす[37]。理論的研究では、プロトントンネル効果英語版が、GC塩基対の互変異性体を自然に生成する重要な要因である可能性が示唆されている[38]
  • 脱プリン化英語版(depurination)
    プリン塩基(アデニン(A)またはグアニン(G))がDNAから離脱し、脱プリン部位英語版(apurinic site、AP部位)が形成される。
  • 脱アミノ化(deamination)
    加水分解によって正常な塩基が非定型な塩基に変化し、元のアミノ基がケト基に置き換えられる。たとえば、シトシン(C) → ウラシル(U)、アデニン(A) → ヒポキサンチン(HX)などがあり、これらは通常、DNA修復機構によって修正される。一方、5-メチルシトシン(5MeC)→ チミン(T)への変化は、チミンが本来DNAに存在する塩基であるため、修復機構によって変異として認識され難いと考えられている。
  • スリップ鎖誤対合英語版(slipped strand mispairing)
    複製中に新しいDNA鎖が鋳型鎖から一時的に離れ、その後、異なる位置で再び対合する(スリップ)ことで、塩基の挿入または欠失が生じる可能性がある。

誤りがちな複製バイパス

自然発生的な突然変異の大部分は、鋳型鎖に存在するDNA損傷を誤って乗り越えて複製を継続する「誤りがちな複製(error-prone replication bypass:損傷乗り越え合成)」によって引き起こされるという証拠が増加している。たとえば、マウスでは突然変異の大部分が損傷乗り越え合成によるものであるとされている[39]。同様に、酵母におけるKunzらの研究では[40]、自然発生的な一塩基置換および欠失の60%以上が損傷乗り越え合成に起因することが示されている。

DNA修復過程で生じるエラー

DNAに自然に生じる二本鎖切断は発生頻度が比較的低いものの、その修復過程ではしばしば変異が引き起こされる。二本鎖切断の修復における主要な修復経路は非相同末端結合(non-homologous end joining、NHEJ)である。NHEJでは、両末端の再結合させるために少数のヌクレオチドが除去され、配列末端の整合性がやや不正確なまま結合される。その後、欠損部を埋めるために新たなヌクレオチドが追加される。これにより、NHEJはしばしば突然変異を導入する結果となる[41]

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タバコ煙に含まれる主要な変異原であるベンゾ[a]ピレンの代謝物とDNAとの共有結合付加体英語版[42]

誘発突然変異

誘発突然変異(induced mutation)とは、遺伝子が変異原や環境要因と接触した結果、その遺伝子に生じる変化である。

分子レベルにおいて誘発突然変異を引き起こす原因には次のようなものがある。

  • 化学物質
    • ヒドロキシルアミン
    • 塩基類似体英語版(例:ブロモデオキシウリジン:BrdU)
    • アルキル化剤(例:N-エチル-N-ニトロソウレア英語版:ENU)
      これらの物質は、DNAが複製中であっても、非複製中であっても、変異を引き起こす可能性がある[43]。一方、塩基類似体は、複製中のDNAに取り込まれた場合にのみ変異を生じさせる。それらの化学的変異原は、特有の作用により、遷移英語版(transition)、転位英語版(transversion)、または欠失(deletion)を引き起こす可能性がある。
    • DNA付加体英語版を形成する物質(例:オクラトキシンA英語版[44]
    • DNA挿入剤英語版(例:臭化エチジウム
    • DNA架橋剤英語版
    • 酸化的損傷
    • 亜硝酸
      アデニン(A)およびシトシン(C)のアミン基をジアゾ基に変換し、水素結合のパターンを変化させる。これにより複製時に誤った塩基対形成が生じる。

従来は、突然変異は偶然に生じるか、変異原によって誘発されるものと考えられていた。しかし現在では、細菌を含む「生命の系統樹」全体において、変異を引き起こす分子機構が存在することが明らかになっている。S.M.ローゼンバーグは次のように述べている。『これらの機構は、高度に制御された突然変異の様相を呈しており、ストレス応答によって時間的に上方制御される。細胞や生物が環境に適応できていない、すなわちストレス下にあるときに活性化し、生物の適応を加速させる可能性がある[48]。』これらは自己誘導的な変異誘発機構(self-induced mutagenic mechanism)であり、生物の適応速度を高めることから適応的変異誘発機構(adaptive mutagenesis mechanism)とも呼ばれる。その例には、細菌のSOS応答英語版[49]、異所性染色体内組換え(ectopic intrachromosomal recombination)[50]、染色体の重複など、さまざまな染色体レベルのイベントが含まれる[48]

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変異の種類

要約
視点

構造への影響による分類

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染色体変異の5つの種類
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小規模変異の種類

遺伝子配列は、さまざまな要因により変化しうる[51]。遺伝子変異が健康に及ぼす影響は、その変異が発生した部位、およびそれが必須タンパク質英語版の機能を変化させるかどうかによって異なる。遺伝子構造の変異は、いくつかの種類に分類される[52]

大規模変異

染色体構造における大規模な変異には、次のようなものが含まれる。

  • 遺伝子重複(増幅、gene duplication)
    染色体断片の繰り返しや、余分な染色体断片が相同染色体または非同源染色体に付着することにより、一部の遺伝子が2コピーを超えて存在するようになる。これにより、染色体領域全体が複数コピーされ、そこに含まれる遺伝子の発現量(コピー数)が増加する。
  • 多倍数性英語版(polyploidy)
    染色体セット全体が重複する現象であり、独立した繁殖集団の形成や種分化を引き起こす可能性がある。
  • 大規模な欠失
    染色体の広範な領域が欠失し、その領域内に含まれていた遺伝子が失われる。
  • 異なる遺伝子の融合
    もともと別々だったDNA断片が隣接することにより、異なる遺伝子が融合し、新たな機能を持つ融合遺伝子(fusion gene)を形成する場合がある(例:bcr-abl)。
  • 染色体再編成英語版(chromosomal rearrangement)
    染色体構造に生じる大規模な変化で、適応度の低下をもたらすことがある一方、孤立した近交集団において種分化をもたらすこともある。次のような変異型が含まれる。
    • 染色体転座(chromosomal translocation)
      非相同染色体間で遺伝子領域が交換される。
    • 染色体逆位(chromosomal inversion)
      染色体内の一部領域の向きが反転する。
    • 非相同染色体間の交差(chromosomal crossover)
    • 介在欠失(interstitial deletion)
      1本の染色体内でDNAの一部が除去され、もともと離れていた遺伝子が隣接するようになる。たとえば、ヒト星状細胞腫英語版(脳腫瘍の一種)から単離された細胞において、膠芽腫融合遺伝子(Fused in Glioblastoma、FIG)と受容体型チロシンキナーゼ遺伝子(ROS英語版)との間の配列が欠失し、FIG-ROS融合タンパク質が生成されることがある。この異常な融合タンパク質は、恒常的に活性を持つキナーゼ活性を示し、正常細胞から癌細胞へと変化する発癌性英語版の形質転換(現象)を引き起こす。
  • ヘテロ接合性の喪失英語版(loss of heterozygosity)
    もともと2つの異なるアレル(対立遺伝子)を持っていた個体で、一方のアレルが欠失または遺伝的組換えにより失われること。

小規模変異

小規模変異は、1つまたは少数のヌクレオチドに影響を及ぼす変異である(影響が1ヌクレオチドのみの場合は、点突然変異(点変異、point mutation)と呼ばれる)。小規模変異には次のような型がある。

  • 挿入英語版(insertion)
    DNAに1つ以上の余分なヌクレオチドが追加される変異である。通常は、トランスポゾン(転移因子)、または反復配列の複製エラーによって引き起こされる。遺伝子のコード領域に挿入が生じると、mRNAスプライシングが変化する(スプライス部位変異英語版)か、リーディングフレームがずれる(フレームシフト)ことで、遺伝子産物に重大な影響を及ぼす可能性がある。挿入は、原因となったトランスポゾンの除去によって修復されることがある。
  • 欠失
    DNAから1つ以上のヌクレオチドが除去される変異である。挿入と同様に、遺伝子のリーディングフレームを変化させる可能性がある。一般には不可逆的とされるが、理論上は、まったく同じ配列を再度挿入することで復元される可能性もある。ただし、非常に短い欠失(たとえば1~2塩基)を元に戻すことができるトランスポゾンは存在しないか、存在しても極めて稀である。
  • 置換変異(substitution mutation)
    化学物質の作用やDNA複製時の誤作動により、1つのヌクレオチドが別のヌクレオチドに置き換わる変異である[53]。この変化は、転移または転換に分類される[54]
    • 転移
      一般的に、プリン塩基同士(A ↔ G)あるいはピリミジン塩基同士(C ↔ T)の置換であり、比較的頻度が高い。亜硝酸、塩基の誤対合、あるいはBrdU(変異原性塩基類似体)などによって引き起こされることがある。
    • 転換
      プリンとピリミジンの間の置換(C/T ↔ A/G)であり、転移よりも発生頻度は低い。たとえば、アデニン(A)からシトシン(C)に変わる場合がある。
  • 点突然変異(点変異)
    は、DNAの単一塩基対、または遺伝子内の少数の塩基対に対する変化である。点変異は、別の点変異によって元のヌクレオチドに戻る真の復帰変異(true reversion)や、他の部位に生じた相補的な変異によって遺伝子機能が回復する第二点復帰変異(second-site reversion)によって修復されることがある。
    後述のように、遺伝子のタンパク質コード領域内に生じた点変異は、同義置換英語版または非同義置換英語版に分類される。非同義置換はさらに、ミスセンス変異ナンセンス変異に細分される。

タンパク質配列への影響による分類

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真核生物のタンパク質コード遺伝子の構造。タンパク質コード領域 (赤) の変異はアミノ酸配列の変化を引き起こす可能性がある。遺伝子の他の領域に生じる変異は多様な影響を及ぼすことがある。調節配列英語版 (黄および青) の変化は、遺伝子発現転写および翻訳調節に影響を与える。
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タンパク質への影響による点変異の分類。
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アミノ酸遺伝情報標準表に沿った、代表的な病因性変異の一覧。詳細は図の解説文を参照[55]

変異がタンパク質配列に及ぼす影響は、主にゲノム内のどの位置で生じたか、特にそれがコード領域非コード領域かによって決まる。プロモーターエンハンサーサイレンサーなどの遺伝子の非コード調節配列英語版に生じた変異は、遺伝子発現量を変化させる可能性があるが、タンパク質配列そのものを変化させる可能性は低い。イントロンや、既知の生物学的機能を持たない領域(例:偽遺伝子レトロトランスポゾン)に生じた変異は、一般的に中立的英語版であり、表現型に影響を及ぼさない。ただし、イントロン内の変異がmRNAスプライシングに影響を与えると、タンパク質産物が変化する可能性がある。

コード領域に生じた変異はタンパク質産物を変化させる可能性が高く、アミノ酸配列への影響に基づいて、次のように分類される。

  • フレームシフト変異
    DNA配列に3で割り切れない数のヌクレオチドが挿入または欠失されることで生じる変異である。遺伝子が3塩基(コドン)単位で発現するため、このような挿入や欠失はリーディングフレーム(コドンの読み取り枠)をずらし、元の配列とはまったく異なる翻訳結果をもたらす[56]
    挿入や欠失が配列の早い位置で生じるほど、生成されるタンパク質への影響は大きくなる。たとえば、CCU GAC UAC CUA という配列は、プロリン、アスパラギン酸、チロシン、ロイシンをコードする。ここで、CCU の U が欠失すると、配列は CCG ACU ACC UAx となり、プロリン、スレオニン、スレオニン、および別のアミノ酸の一部、あるいは終止コドン(xは次のヌクレオチド)を生じる可能性がある。
    これに対して、3の倍数の挿入または欠失はインフレーム変異(in-frame mutation)と呼ばれ、リーディングフレーム自体は維持される。
  • 点置換変異(point substitution mutation)
    1つのヌクレオチドが別のヌクレオチドに置き換わる変異であり、同義変異または非同義変異に分類される。
    • 同義置換英語版(synonymous substitution)
      あるコドンが同じアミノ酸をコードする別のコドンに置換されることで、アミノ酸配列には変化が生じない変異である。これは、遺伝情報縮重性英語版(degeneracy)に起因する。この変異によって表現型に影響が生じない場合、「サイレント変異」と呼ばれる。ただし、すべての同義置換がサイレントであるとは限らない。なお、イントロンなどの非コード領域に生じた変異も、機能的に影響がない場合はサイレント変異と呼ばれることがあるが、これらは同義置換に分類されない。
    • 非同義置換英語版(nonsynonymous substitution)
      あるコドンが、異なるアミノ酸をコードするコドンに置換され、アミノ酸配列が変化する変異である。非同義置換は、ナンセンス変異とミスセンス変異に分類される。

機能への影響による分類

ある変異により、変異タンパク質とその直接的な相互作用因子との間で、機能の正確性に変化が生じた場合、その変異は「機能に影響を与える変異」に分類される。相互作用因子には、他のタンパク質、分子、核酸などが含まれる。機能へ影響を与える変異にはさまざまなものがあり、変化の内容に応じて次のような型に分類される[58]

  • 機能喪失型変異(loss-of-function mutation)
    不活性化変異(inactivating mutation)とも呼ばれ、遺伝子産物の機能が部分的または完全に失われる(機能低下または不活性化)変異である。アレルが完全に機能を失っている場合は「ヌルアレル英語版」(null allele)と呼ばれ、ミュラーのモルフ分類英語版ではアモルフ英語版(amorph)またはアモルフィック変異(amorphic mutation)に該当する。この変異に伴う表現型は通常、潜性(recessive、劣性)である。ただし、生物が一倍体である場合や、正常な遺伝子産物の量が不十分で表現型に変化が生じる場合(ハプロ不全英語版)は例外となる。
    機能喪失型変異による疾患には、ギテルマン症候群嚢胞性線維症などがある[59]
  • 機能獲得型変異(gain-of-function mutation)
    活性化変異(activating mutation)とも呼ばれ、遺伝子産物の作用が強化されたり、新たに異常な機能を獲得する変異である。新たなアレルが生じた場合、元のアレルと新規アレルを持つヘテロ接合体では、新規アレルが発現する。このため、遺伝学的には顕性表現型(dominant phenotype、優性表現型)とされる。ミュラーのモルフ分類では、機能獲得型変異はハイパーモルフ(hypermorph、遺伝子発現量の増加)やネオモルフ(neomorph、新規機能)に該当する。
  • ドミナントネガティブ変異(dominant negative mutation)
    アンチモルフ変異(anti-morphic mutation)とも呼ばれ、変異型の遺伝子産物が野生型アレルの産物と拮抗的に作用し、分子機能を阻害する(しばしば不活性型)。この変異は、顕性または半顕性(semi-dominant)の表現型をもたらすことが多い。
    ヒトでは、p53ATMCEBPA英語版PPARγなどの遺伝子におけるドミナントネガティブ変異は、癌との関連が指摘されている。マルファン症候群は、ヒト15番染色体英語版上のFBN1遺伝子(細胞外マトリックス構成タンパク質フィブリリン-1をコード)における変異によって引き起こされる疾患であり、ドミナントネガティブ変異およびハプロ不全の例である。
  • 致死変異(lethal mutation)
    発生過程で生じると急速な個体死を引き起こし、成体においても寿命を著しく短縮する変異である。優性致死変異(dominant lethal mutation)による疾患の例として、ハンチントン病がある。
  • ヌル変異(null mutation)
    アモルフィック変異とも呼ばれる機能喪失型変異の一種であり、遺伝子機能を完全に失わせる。表現型レベルでの機能が消失し、遺伝子産物もまったく生成されなくなる。アトピー性湿疹や皮膚炎症候群は、フィラグリンを活性化する遺伝子のヌル変異によって引き起こされる代表的な疾患である。
  • 抑圧突然変異(suppressor mutation)
    別の変異によって生じた表現型への影響を抑圧する(打ち消す)変異であり、二重変異体が正常な表現形を示すようになる。抑圧突然変異は2種類に分類され、元の変異と同一遺伝子内で起こる「遺伝子内型(intragenic)」と、元の変異産物と相互作用する別の遺伝子に起こる「遺伝子外型(extragenic)」がある。この種の変異に関連する代表的な疾患として、アルツハイマー病がある[60]
  • ネオモルフ変異(neomorphic mutation)
    機能獲得型変異の一種であり、新たなタンパク質産物の合成を制御する機能を獲得する。この変異により、その遺伝子は新規の遺伝子発現や分子機能を持つようになり、その機能は変異前とは大きく異なるものとなる[61]
  • 復帰突然変異(reversion mutation)(逆突然変異、back mutation)
    点変異によって元の塩基配列が復元され、それによって本来の表現型が回復する変異である[62]

適応度への影響による分類(有害・有益・中立的な突然変異)

遺伝学において、突然変異はその影響に応じて、有害、有益、中立的に分類されることがある。

  • 有害(harmful)または生存上不利(deleterious)
    この種の突然変異は、生物の適応度を低下させる。必須遺伝子英語版における突然変異の多くは有害であるが、必ずしもすべてがそうではない。たとえば、必須タンパク質のアミノ酸配列を変えない変異(同義変異)は多くの場合、表現形に影響を与えない。
  • 有益(beneficial)または有利(advantageous)
    この種の突然変異は、生物の適応度を向上させる。たとえば、細菌に抗生物質耐性をもたらす変異は、細菌にとっては有益であるが、通常はヒトには有益ではない。
  • 中立的英語版(neutral mutation)
    この種の変異は、生物に対して有害でも有益でもない影響を及ぼす。このような変異は世代を通じて一定の速度で蓄積し、分子時計の基礎となる。分子進化の中立説では、中立的突然変異が分子レベルでの大部分の変異における遺伝的浮動の要因になるとされる。動物や植物では、ゲノムの大部分が非コード領域または明確な機能を持たない反復配列(いわゆるジャンクDNA)から構成されているため、ほとんどの突然変異は中立的であると考えられている[63]

大規模スクリーニングによる突然変異の影響評価

数千から数百万におよぶ突然変異を対象とした大規模スクリーニングでは、有害な変異が多くを占める一方、一定数の有益な変異も確認されている。たとえば、大腸菌Escherichia coli)の全遺伝子欠失スクリーニングでは、変異の約80%が適応度を低下させ、約20%が向上させた。ただし、これらの多くは環境条件に依存しており、成長への影響はごく小さかった[64]。なお、遺伝子欠失は遺伝子全体を除去するものであり、一般的に点変異よりも大きな影響を及ぼす傾向がある。一方、肺炎レンサ球菌Streptococcus pneumoniae)に対するトランスポゾン挿入スクリーニングでは、76%の変異体が中立的とされ、16%が適応度を著しく低下させ、6%が有益と評価された[65]

このような分類は明らかに相対的であり、ある程度人為的な側面も持つ。ある突然変異が、環境変化によって有害から無害へ転じることもある。また、有害/有益と中立との間には連続的な勾配が存在し、多くの変異は影響がごく小さく、通常は無視できるが、特定の条件下では重要な役割を果たすこともある。さらに、多くの形質は数百に及ぶ遺伝子(あるいは遺伝子座)によって制御されており、各遺伝子座の寄与はごくわずかである。たとえば、ヒトの身長は数百種類の遺伝的多様性によって決定されるが、栄養の影響を除けば[66]、各変異体の影響は極めて小さい[67]。動物や植物の分類群における体長の多様性が示すように、身長(または体長)そのものも、環境条件によって有益かどうかが異なる場合がある。

適応度効果の分布(DFE)

突然変異の「適応度効果の分布」(distribution of fitness effects:DFE)を、突然変異誘発英語版実験や分子配列データに基づく理論モデルを用いて推定しようとする試みがなされてきた。DFEは、 強い有害変異、ほぼ中立的変異、有利変異といった異なる種類の変異の相対的な出現頻度を明らかにするために用いられる。この指標は、遺伝的変異の維持[68]ゲノムの劣化速度英語版[69]異系交配英語版を伴う有性生殖の維持[70]遺伝的組換えの進化など、さまざまな進化論的問題に深く関わる[71]。また、重篤な影響が予想される変異の分布と、軽微または影響がないとされる変異の分布との差(歪度など)を追跡することで、DFEの性質を推定することも可能である[72]。要約すれば、DFEは進化動態英語版を予測するうえで重要な役割を果たす[73][74]。DFEを研究する方法としては、実験的手法・理論モデル・解析的手法などが用いられてきた。

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水疱性口内炎ウイルス英語版における変異の適応度効果の分布 (DFE)。この実験では、部位特異的変異誘発法によりウイルスにランダムな変異を導入し、各変異体の適応度を祖先型と比較した。適応度が0、1未満、1、1を超える場合、それぞれの変異は、致死的、有害、中立、有利であることを示す[75]
  • 変異誘発実験
    DFEを直接調べる方法として、変異を人工的に誘導し、各変異体の適応度への影響を測定する手法がある。この手法は、ウイルス、細菌、酵母、ショウジョウバエなどで実施されている。たとえば、多くのウイルスの研究では、部位特異的変異誘発英語版(site-directed mutagenesis)によって点変異を生じさせ、各変異体の相対的適応度を測定している[75][76][77][78]大腸菌では、転位因子Tn10英語版の誘導体をランダムに挿入するトランスポゾン変異誘発法英語版を用いて、挿入変異体の適応度を直接測定した研究がある[79]。酵母では、変異誘発法とディープシークエンシング英語版を組み合わせて高品質な系統的変異体ライブラリを構築し、高速処理方式(ハイスループット)で適応度を測定する方法が開発されている[80]。ただし、多くの変異は影響が非常に小さく、実験では検出が困難であり[81]、また実験手法は中程度以上の影響を持つ変異のみを検出しやすい傾向がある。DNA配列解析英語版は、こうした微少な影響を持つ変異に関する貴重な情報を提供する。
  • 分子配列解析
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    機能喪失型変異、機能転換型変異、機能獲得型変異、および機能保存型変異の簡略図。
    DNAシークエンシング技術の急速な発展により、膨大な配列データが利用可能となっており、今後もさらに増加が見込まれている。DNA配列データからDFEを推定する手法が確立されており[82][83][84][85]。種内および種間の配列差異を調べることで、中立的・有害・有利な変異のDFEに関する特性を推定できる[25]。特に、この手法により、変異誘発実験ではほとんど検出できない、ごく微少な影響を持つ変異の効果を推定できるようになる。

適応度効果の分布(DFE)に関する初期の理論的研究の一つは、理論集団遺伝学者木村資生(Motoo Kimura)によって行われた。彼の提唱した「分子進化中立説」では、新たに生じる変異の大半は高度に有害であり、中立的な変異はごく一部とされている[27][86]。その後、明石裕(Hiroshi Akashi)は、DFEが二峰性英語版(bimodal)を持つとするモデルを提案し、有害変異と中立的変異を中心とする二つの分布が存在すると説明した[87]。これらの理論は、新規変異のほとんどは中立的または有害であり、有利な変異は非常に稀であるという点で一致しており、この点は実験的研究によっても裏付けられている。たとえば、水疱性口内炎ウイルス英語版のランダム変異に対するDFE研究では[75]、変異全体のうち39.6%が致死的、31.2%が非致死性の有害変異、27.1%が中立的変異であった。また、酵母を用いたハイスループット変異誘発実験では[80]、DFEが二峰性を示し、中立的変異が一つのピークを形成し、もう一方に幅広い有害変異の分布が観察された。

有利変異は相対的に稀ではあるが、進化的変化に重要な役割を果たす[88]。中立的変異と同様に、選択圧が弱い有利変異は遺伝的浮動によって失なわれることがあるが、強い選択圧の有利変異は固定化されやすい。有利変異のDFEを理解することは、進化動態の予測精度を高める上で有用と考えられている。有利変異のDFEに関する理論的研究は、John H. Gillespie[89]およびH. Allen Orr[90]によってなされ、彼らは、有利変異の分布は多くの条件下で指数分布に従うと提唱した。この仮説は、少なくとも強い選択を受ける有利変異に関しては、実験的研究によっておおむね支持されている[91][92][93]

一般的に、変異の大部分は中立的または有害であり、有利な変異は稀であると考えられているが、その割合は種によって異なる。このことは二つの重要な点を示唆する。第一に、実質的に中立的な変異の割合は有効個体数英語版(effective population size)に依存し、種ごとに異なる可能性があること。第二に、有害変異の平均的影響も種間で大きく異なる可能性があること[25]。さらに、DFEはコード領域と非コード領域でも異なり、非コードDNAのDFEには選択圧の弱い変異がより多く含まれる傾向がある[25]

遺伝による分類

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このマツバボタン(Portulaca grandiflora) は、突然変異によって異なる色の花を咲かせている。この変異は体細胞変異であるが、生殖細胞系列英語版に受け継がれる可能性もある。

専用の生殖細胞を持つ多細胞生物では、突然変異は生殖細胞系列変異英語版体細胞変異英語版(獲得変異とも呼ばれる)に大別される。生殖細胞系列変異は生殖細胞を介して子孫に伝えられるのに対し、体細胞変異は生殖細胞以外の細胞に生じ、通常は子孫には受け継がれない[94]

二倍体生物(例:ヒト)は、それぞれの遺伝子について父方および母方の2つのアレルを持つ。突然変異が各アレルにどのように生じるかに基づいて、次の3つの型に分類される。いずれのアレルにも変異がない個体は、野生型(wild type)または非変異のホモ接合型個体とされる。

  • ヘテロ接合型変異(heterozygous mutation)
    片方のアレルのみに変異が生じている状態。
  • ホモ接合型変異(homozygous mutation)
    両方のアレルに同一の変異が生じている状態。
  • 複合ヘテロ接合変異英語版(compound heterozygous mutation)
    父方と母方のアレルがそれぞれ野生型とは異なり、かつ互いの変異が異なる状態[95]。遺伝的接合体(genetic compound)とも呼ばれる。

生殖細胞系列変異

個体の生殖細胞に生じた変異は、生殖細胞系列変異英語版(germline mutation)と呼ばれ、子孫において構成的変異(constitutional mutation)を引き起こす。構成的変異とは、受精後に生じるすべての細胞に共通して存在する変異を指す。構成的変異は、受精直後の初期発生段階で生じる場合もあれば、親から受け継がれた構成的変異がそのまま子に伝えられる場合もある[96]。生殖細胞系列変異は、次世代以降にも受け継がれる可能性がある。

このような生殖細胞系列変異と体細胞変異の区別は、明確な生殖細胞系列英語版を持つ動物では重要な意味を持つ。一方、植物のように明確な生殖細胞系列を持たない生物では、この区別は突然変異の影響を理解する上であまり意味を持たない。また、出芽などの無性生殖によって増殖する動物では、娘個体を形成する細胞がそのまま生殖系列を担うことがあるため、両者の区別が曖昧になることがある。

父母のいずれからも受け継がれていない新たな生殖細胞系列変異は、「de novo変異de novo mutation)」と呼ばれる。

体細胞変異

体細胞変異英語版(somatic mutation)は、親から受け継がれず、また子孫にも伝わらない遺伝的変化である[94]。体細胞変異は生殖細胞系列に影響を及ぼさないため、子孫に遺伝することはない。ただし、変異を持った体細胞が分裂する過程で(有糸分裂)、その変異が同一個体内の細胞群に引き継がれるため、体の一部が同じ変異を持つことがある。体細胞変異は、紫外線や有害な化学物質など、環境要因によって誘発されることが多く、癌を含むさまざまな疾患の原因となりうる[97]

植物においては、体細胞変異が種子を介さずに継承されることがある。たとえば、接ぎ木挿し木を通じて変異が維持される場合があり、「デリシャス」リンゴや「ワシントン」ネーブルオレンジといった果物の品種改良につながっている[98]

ヒトおよびマウスの体細胞における変異率は、生殖細胞系列英語版よりも10倍以上高い。マウスは、ヒトと比較して体細胞・生殖細胞系列のいずれにおいても、細胞分裂あたりの変異率が高い。このような変異率の違いは、ゲノム維持が体細胞よりも生殖細胞系列でより重要とされていると考えられている[99]

特殊な変異

  • 条件突然変異(conditional mutation)とは、特定の「許容的(permissive)」環境条件下では野生型(またはそれに近い軽度な)表現型を示す一方、特定の「制限的(restrictive)」条件下では変異表現型を示す突然変異である。たとえば、温度感受性変異英語版は高温(制限的条件)で細胞死を引き起こすが、低温(許容的条件)では有害な影響を示さないことがある[100]。 このような変異は発現が特定の条件の存在に依存するため非自律的(non-autonomous)であり、環境条件に関わらず自律的(autonomous)に発現する変異とは区別される[101]。許容的条件には、温度[102]、特定の化学物質[103]、光[103]、またはゲノムの他領域における変異などが含まれる[101]。 転写スイッチなどの生体内機構(in vivo)によっても条件突然変異を生じる場合がある。たとえば、ステロイド結合ドメインの結合は、ステロイドリガンドの有無に応じて遺伝子発現を切り替える転写スイッチを形成することがあげられる[104]。 条件突然変異は、遺伝子発現の制御が可能であるため研究に有用である。特に、モデル生物の発生段階で遺伝子発現が有害な影響を及ぼす場合でも、成長後に遺伝子を発現させて成体での疾患研究に利用できる[103]
    Cre-Lox組換えなどのDNA組換え酵素系を、特定条件下で活性化されるプロモーターと組み合わせることで、条件突然変異を誘導できる。また、デュアルリコンビナーゼ技術(dual recombinase)を用いれば、複数の遺伝子に同時に条件突然変異を導入し、複数の変異が同時に生じることで発症する疾患の研究に応用可能である[103]
    さらに、一部のインテインは特定の許容温度でのみスプライシングを行い、それ以外の温度では異常なタンパク質合成を引き起こし、機能喪失型突然変異を生じることが報告されている[105]
    条件突然変異は、生物の寿命の特定段階以降で遺伝子発現を変化させられるため、加齢に関連する遺伝学的研究にも応用されている[102]
  • DNA複製のタイミングに関連する量的形質遺伝子座英語版
    DNA複製のタイミングに関連する量的形質遺伝子座(replication timing quantitative trait loci:rtQTL)は、DNA複製の開始や進行のタイミングに影響を与える。

命名法

変異を分類するためには、まず「正常」あるいは「健康な」生物(「変異体」や「病的な」個体ではない)からDNAの「正常」配列を取得し、それを同定・報告する必要がある。理想的には、その配列はヌクレオチド単位で容易に比較可能な形で公開され、科学界や専門の遺伝学者・生物学者グループによって「コンセンサス配列(consensus sequence)」として合意されるべきである。この段階には膨大な科学的努力が必要となる。

コンセンサス配列が確立されると、ゲノム内の変異を特定、記述、分類できるようになる。ヒトゲノム変異学会(HGVS)の委員会は、標準的なヒト配列多様体命名法を策定しており[106]、研究者やDNA診断機関はこれに従い、曖昧さのない変異記述を行うことが求められる。原則として、この命名法は他の生物種の変異記述にも適用可能である。この命名法は、変異の種類および塩基やアミノ酸の変化を明示する。

  • ヌクレオチド置換(例:76A>T)
    数字は5'末端からのヌクレオチドの位置を表す。最初の文字は野生型のヌクレオチド、2番目の文字は置換されたヌクレオチドを表す。この例では、76番目のアデニンがチミンに置換されたことを意味する。
    • ゲノムDNA英語版ミトコンドリアDNARNAにおける変異を区別する必要がある場合は、次のような表記を用いる。たとえば、100番目の塩基がGからCへ変異した場合、ゲノムDNAでは g.100G>C、ミトコンドリアDNAでは m.100G>C、RNAでは r.100g>c と表記する。RNAの変異ではヌクレオチドコードを小文字で表わすことに注意。
  • アミノ酸置換(例:D111E)
    最初の文字は野生型アミノ酸の一文字コード、数字はN末端からの位置、2番目の文字は変異後のアミノ酸の単一文字コードを表す。ノンセンス変異(終止コドンへの変異)は、2番目の文字にXを用いて表す(例:D111X)。
  • アミノ酸欠失(例:ΔF508)
    ギリシャ文字Δ(デルタ)は欠失を表す。続く文字は野生型に存在するアミノ酸を表し、数字はそのアミノ酸のN末端からの位置を表す。
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突然変異率

要約
視点

突然変異率英語版(mutation rate)は種によって大きく異なり、それを決定づける進化的要因については、現在も研究が進められている。

ヒトでは、1世代あたりのde novo変異(新規変異)は1ゲノムあたり約50~90個とされている。すなわち、各個体には両親に存在しなかった約50~90個の新たな変異が蓄積される。この数値は、両親と少なくとも1人の子から成る数千組の「ヒトトリオ」に対する全ゲノム配列決定により推定されたものである[107]

RNAウイルスのゲノムは、DNAではなくRNAを基盤としており、DNAと同様に二本鎖構造を持つものもあれば、一本鎖構造のものも存在する。これらのウイルスの一部、たとえば一本鎖RNAウイルスであるヒト免疫不全ウイルス(HIV)では、複製が非常に高速に行われるうえ、ゲノムの正確性を検証する機構を欠いている。このように誤りが生じやすい複製過程により、しばしば突然変異が生じる。

新規変異(de novo変異)の発生率は、生殖細胞系列・体細胞系列を問わず、生物種によって異なる[108]。同一種内であっても個体間で変異率に差が見られる[109]。全体として、de novo変異の発生率は遺伝的に継承される変異に比べて低く、遺伝的変異の中でも稀な形式に分類される[110]。多くの観察結果において、de novo変異発生率は父親の年齢と正の相関を示すことが報告されている。有性生殖を行う生物では、精子提供者の生殖細胞系列における細胞分裂回数が多いことから、これは de novo変異の発生率の違いを説明する要因の一つとされている。配偶子形成英語版の過程、とりわけ精子が急速に生成される場合には、DNA複製時のエラーが発生しやすくなる。このとき、DNA修復機構が十分に機能しない場合には、de novo変異が修復されないまま複製される可能性がある[111]。この仮説は、精子形成の高速化に伴って変異確率が上昇すること、そして細胞分裂の間隔が短いためDNA修復が効率的に行われないことという、2つの観察結果に基づいている[112]。さらに、生物の発生過程に影響を与えるde novo変異の発生率は、環境要因によっても上昇することがある。たとえば、一定以上の放射性元素への曝露によってゲノムに損傷が生じ、突然変異率が高まる可能性がある。ヒトでは、生涯にわたる過剰な紫外線曝露が皮膚細胞のゲノムに変異を引き起こし、皮膚癌の発症原因となることが知られている[113]

突然変異のランダム性

突然変異は、その結果に関して(確率的に)完全に「ランダム」であるという前提が、長らく広く受け入れられてきた。しかし、この前提は誤りであることが示されている。変異の頻度はゲノム内の領域によって大きく異なり、DNA修復機構変異の偏り英語版はさまざまな因子と関連していることが明らかとなっている。たとえば、モンローらの研究では、モデル植物であるシロイヌナズナArabidopsis thaliana)を対象に、機能的に重要な遺伝子は、そうでない遺伝子に比べて変異の頻度が低いことが示された。すなわち、変異は「植物にとって有利となるようなかたちで非ランダムである」と報告されている[114][115]。また、従来「突然変異は適応度に関してランダムである」とする主張を支えてきた古典的な実験、たとえば、フラクチュエーションテスト英語版(fluctuation test)やレプリカ平板法(replica plating)は、より限定的な主張、すなわち「突然変異は外部の選択的制約に対してランダムである」ことを支持しているに過ぎず、適応度全体に対するランダム性を証明するものではないとされている[116]

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疾患の原因

要約
視点

DNAのコード領域における変異は、タンパク質配列に誤りを生じさせ、部分的または完全に機能を失ったタンパク質を生じることがある。細胞が正常に機能するためには、数千種類のタンパク質が適切な時期と場所で正しく働く必要がある。そのため、生体内で重要な役割を担うタンパク質に変異が生じた場合、医学的な疾患につながる可能性がある。ショウジョウバエの異なる種間の遺伝子比較に基づく研究では、変異によってタンパク質が変化する場合、その多くは有害であることが示唆されている。具体的には、アミノ酸多型の約70%が有害な影響を及ぼし、残りは中立的あるいはわずかに有益であると推定されている[8]。一方、遺伝子の塩基配列が変化しても、それによって作られるタンパク質に変化をもたらさない変異も存在する。酵母を用いた研究によれば、非コード領域における点突然変異のうち有害なものは7%、コード領域では12%にとどまり、残りの変異は中立的またはわずかに有益であるとされている[117]

遺伝性疾患

生殖細胞に変異が存在する場合、その変異は子孫に受け継がれ、体のすべての細胞に存在することになる。このような変異は、遺伝性疾患の原因となる。特に、生殖細胞におけるDNA修復遺伝子に変異がある場合、それを有する個体は癌の発症リスクが上昇する可能性がある。DNA修復不全に関連する生殖細胞系列の変異については、「DNA修復不全英語版」の記事に34種類が一覧として記載されている。その一例が白皮症であり、OCA1英語版またはOCA2英語版遺伝子の変異によって起こる。この疾患を持つ人々は、複数種の癌や他の疾患に罹患しやすく、視力障害を伴うことも多い。

DNA損傷は、DNA複製時のエラーを引き起こす原因となり、それが遺伝子変異を通じて遺伝性疾患につながることがある。各細胞には、DNA損傷を認識し修復する複数の経路が備わっており、酵素によってこれらの損傷は修復される。DNAは多様な要因によって損傷を受ける可能性があるため、DNA修復は、生体が疾患から身を守るための重要な仕組みである。しかし、DNA損傷が変異として固定された場合、元の正確なヌクレオチド配列が失われるため、修復機構はそれを認識できず、変異は修復できなくなる。

発癌における役割

一方、変異は生物の体細胞に生じることもあり、このような体細胞変異は、同一個体内におけるその細胞のすべての子孫細胞に受け継がれる。特定の変異が体細胞内で世代を重ねて蓄積されると、正常細胞が癌細胞へと悪性転換英語版する原因の一つである[118]

たとえば、機能喪失型変異のヘテロ接合変異(1つの正常な遺伝子コピーと、1つの変異したコピーを持つ細胞)の場合、正常なコピーがある場合は通常どおり機能することがある。しかし、その正常コピーが体細胞内で自然発生的に変異を起こすと、細胞の機能が失われる可能性がある。このような変異は、生物において頻繁に発生しているが、発生率を定量的に測定することは困難である。しかし、この発生率の測定は、癌の発症リスクを予測するうえで重要である[119]

点突然変異は、DNA複製中に自然に発生する場合があるが、変異原の影響によって発生頻度が上昇することもある。変異原には、紫外線、X線、極端な高熱などの物理的要因のほか、塩基対の配置を誤らせたり、DNAの二重らせん構造を損なったりする化学物質も含まれる。癌と関連する変異原は、癌の発症機構やその予防法を理解するうえで、広く研究対象とされている。

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有益な突然変異と条件突然変異

タンパク質配列に変化をもたらす突然変異は、生物にとって多くの場合、有害となる。しかし、特定の環境下においては、有益な効果をもたらすこともある。たとえば、突然変異によって野生型よりも特定の環境ストレスに対する耐性が高まったり、より速く繁殖できるようになる場合がある。このような突然変異は、自然選択によって集団内に広まりやすくなる。ただし、同じ突然変異であっても、ある条件下では有益でありながら、別の条件下では不利益になることもある。そうした具体例を次にあげる。

HIV耐性

ヒトのCCR5遺伝子における32塩基対の欠失(CCR5-Δ32)は、ホモ接合体の場合にHIV感染に耐性を付与し、ヘテロ接合体では後天性免疫不全症候群(AIDS)の発症を遅らさせる効果がある[120]。この変異がヨーロッパ人英語版集団において比較的高頻度で存在する理由の一つとして、14世紀半ばにヨーロッパで流行した腺ペストへの耐性をこの変異がもたらした可能性が指摘されている。この変異を持つ人々は感染後の生存率が高く、その結果として集団内で頻度が上昇したと考えられている[121]。この仮説は、腺ペストの影響を受けなかった南部アフリカにおいてこの変異がほとんど見られない理由の説明にも用いられている。一方、より新しい仮説では、この変異に対する選択圧英語版は腺ペストではなく、天然痘によってもたらされた可能性があるとされている[122]

マラリア耐性

有害変異の例として、鎌状赤血球症がある。これは、赤血球内の酸素運搬物質であるヘモグロビンが異常な形状をとることで発症する血液疾患である。サハラ以南アフリカ先住民の3分の1は、この疾患の原因となるアレルを1つ保有している(鎌状赤血球形質英語版)。この形質を持つことで、マラリアが流行する地域においては生存上の利点となる[123]。これは、マラリア原虫Plasmodium)が感染した赤血球が鎌状に変形することで、原虫の寄生が阻止されるためである。

抗生物質耐性

ほぼすべての細菌は、抗生物質に曝露されると抗生物質に対する耐性を獲得する。実際、多くの細菌集団には、抗生物質という選択圧のもとで有利となる突然変異がすでに存在している[124]。このような変異は細菌にとっては有益であるが、その感染を受ける宿主にとっては不利益となる。

ラクターゼ活性持続性

一部の人類は、ある突然変異によって、離乳後もラクターゼという酵素を発現し続けるようになった。この酵素は乳糖の分解を担っており、これにより成人でも乳製品を消化できるようになる(ラクターゼ活性持続性)。この変異は、近年の人類進化における最も有益な変化の一つと考えられている[125]

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進化における役割

自然発生的な新規変異(de novo変異)は、生物集団に新たな遺伝的性質をもたらすことで、進化的変化を促進する複合的な要因の一つである。しかし、変異によって生じる遺伝的多様性の影響は、一般に「弱い」進化的圧力(evolutionary force)と考えられている[109]。無作為に生じる変異は、あらゆる有機生命体の遺伝的多様性の基盤であるとはいえ、この力は他の進化的要因とともに評価されるべきである。自然発生的なde novo変異が種分化を引き起こすような決定的な事象となるかどうかは、自然選択遺伝子流動、遺伝的浮動などの影響を受ける。たとえば、変異率が高い小規模な集団では遺伝的変異が増加しやすく、これが将来の世代で種分化を促す可能性がある。一方で、大規模な集団では新たに導入された変異形質の影響は小さくなる傾向があり、多くの場合、有害な変異アレルの頻度は時間の経過とともに選択圧によって減少する[126]

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代償性の病原性変異

要約
視点

「代償性の病原性変異」(compensated pathogenic deviation)とは、あるでは病原性を引き起こす原因となるアミノ酸残基が、別の種の機能的に等価なタンパク質中では野生型の残基として存在していることを指す。第一の種ではそのアミノ酸残基が疾患の原因となるにもかかわらず、第二の種では他の一つ以上のアミノ酸置換によりその病原性が打ち消されている(代償)ため、同じ残基が病原性を示さない。このような代償性変異は、同一タンパク質内で起こることもあれば、相互作用する別のタンパク質内で起こる場合もある[127]

このような代償性変異の影響を理解することは、生物集団において固定化された有害変異の存在を考える上で重要である[128]。有害変異が集団内で固定化されると、集団の適応度(fitness)が低下することがある。有効個体数英語版とは、実際に繁殖に寄与する個体の数を指す[129]。この数の増加と遺伝的多様性の減少とは相関する傾向がある[129]。集団内の有害アレルが適応度に及ぼす影響を評価するには、その集団が臨界有効個体数(critical effective population size)に対してどの位置にあるかを考慮する必要がある[128]。集団の有効個体数が臨界値を下回る場合、適応度は急激に低下するが、臨界値を上回る場合には、代償性アレルの働きにより、たとえ有害変異が存在しても適応度が維持される、あるいは向上することもありうる[128]

RNAにおける代償性変異

RNA分子の機能はその立体構造に依存しているため[130]、RNAの構造は進化的に高度に保存されている。したがって、RNAの安定した構造を損なうような変異は、他の代償性変異によって補われる必要がある。RNAにおいては、塩基配列を「遺伝子型」、立体構造を「表現型」とみなすことができる。RNAはタンパク質に比べて構成が比較的単純であるため、その構造は計算機的に高精度で予測可能である。このような特徴から、RNAフォールディング・アルゴリズムを用いた計算機シミュレーションによって、RNAにおける代償性変異の研究が広く行われている[131][132]

代償性変異の進化的機構

代償性的変異は、ある変異の表現型への影響が、他の遺伝子座に存在する変異に依存するという遺伝現象「エピスタシス(epistasis)」によって説明される。エピスタシスは当初、異なる遺伝子間の相互作用として考えられていたが、近年では同一遺伝子内での「遺伝子内エピスタシス(intragenic epistasis)」についても研究が進んでいる[133]。代償性の病原性変異の存在は、「符号エピスタシス(sign epistasis)」によって説明される。これは、有害な変異の影響が、他の遺伝子座における別のエピスタティック変異の存在によって打ち消される現象である。あるタンパク質における有害変異(D)と代償性変異(C)を想定すると、CはDと同じタンパク質内、または相互作用する別のタンパク質内に存在しうる。Cの適応度への影響は中立的またはやや有害である可能性があり、この場合Cは集団内に存続しうる。一方で、Dはそれ単独では集団内に維持されないほど有害である。しかし、CとDが同時に存在する場合、それらの複合的な適応度効果は中立的または有利となる[127]。このように、代償性変異はタンパク質進化に新たな適応経路をもたらす。すなわち、個体が低い適応度の谷を通って、ある適応度ピークから別のピークへと移動することを可能にする[133]

DePristoら(2005年)は、代償的病原性変異(compensatory pathogenic deviation:CPD)の動態を説明する2つのモデルを提唱した[134]。第一のモデルでは、Pは病原性アミノ酸変異、Cは中立的な代償性変異である[134]。この場合、代償性変異Cが先に発生し、その後に病原性変異Pが生じたとき、Pは集団内に固定される可能性がある[134]。第二のモデルでは、PとCはいずれも有害変異であり、それらが同時に出現した場合には、適応度の谷が形成されるとされる[134]。Ferrer-Costaら(2007年)は、公開データベースから取得した代償的変異およびヒト病原性変異のデータセットを用いて、CPDの発生要因を解析した[135]。その結果、タンパク質構造における位置や構造的制約が、代償性変異の生起に影響を及ぼすことが示唆された[135]

代償性変異の実験的証拠

細菌を用いた実験

Lunzerらは、酵素イソプロピルリンゴ酸デヒドロゲナーゼ(isopropylmalate dehydrogenase:IMDH)の2つのオルソログタンパク質間で異なるアミノ酸を相互に置換する実験を行った[136]。彼らは、大腸菌のIMDHにおいて、緑膿菌Pseudomonas aeruginosa)のIMDHに見られる野生型アミノ酸168個を導入した。その結果、これらの置換の3分の1以上が、大腸菌におけるIMDHの酵素活性を損なうことが明らかとなった。これは、同一のアミノ酸配列であっても、遺伝的背景により異なる表現型が生じうることを示している。Corriganら(2011)は、黄色ブドウ球菌Staphylococcus aureus)がリポタイコ酸を欠いていても、代償性変異により正常な増殖が可能であることを示した[137]。全ゲノム解析の結果、この細菌においてサイクリック-ジ-AMPホスホジエステラーゼ(Cyclic-di-AMP phosphodiesterase:GdpP)が破壊されると、細胞壁ポリマーの消失が補償され、通常の細胞成長が可能となることが判明した[137]

さらに、細菌は適応度への影響が軽微またはほとんどない代償性変異を通じて薬剤耐性を獲得する場合がある[138]。Gagneuxら(2006年)は、リファンピシン耐性を持つ結核菌Mycobacterium tuberculosis)の実験室株では適応度の低下が見られる一方、臨床株ではそのような低下が観察されないことを報告した[139]。また、Comasら(2012年)は、臨床株と実験室由来の変異株との全ゲノム比較を行い、リファンピシン耐性における代償性変異の役割と寄与を明らかにしようとした[138]。その結果、耐性株にはrpoAおよびrpoC遺伝子に変異が存在することが判明した[138]。同様の研究では、リファンピシン耐性を持つ大腸菌における代償性変異と細菌の適応度との関連が調査された[140]。この研究により、薬剤耐性は細菌の適応度と関連しており、適応度コストが高い場合には転写エラーの頻度が増加することが示された[140]

ウイルスを用いた実験

Gongらは、異なる時期に得られたインフルエンザの核タンパク質英語版の遺伝子型データを収集し、それらを発生時期に基づいて時系列順に整理した[141]。次に、39種類のアミノ酸置換を抽出し、それらを祖先型に近い遺伝子背景に導入した。その結果、39個の置換のうち3つが祖先的背景において適応度を著しく低下させることが判明した。代償性変異とは、集団の適応度に対して中立的または正の影響を与える新たな変異である[142]。これまで研究により、生物集団が有害な変異の影響を補うように進化することが可能であることが示されている[127][142][143]。BurchとChaoは、バクテリオファージφ6英語版が小規模な変化(進化ステップ)を通じて進化するかどうかを検証することで、適応進化におけるフィッシャーの幾何モデル英語版を評価した[144]。その結果、バクテリオファージφ6の適応度は一時的に急激に低下するものの、その後、小さなステップを経て回復することが明らかとなった[144]。また、ウイルスの核タンパク質は、アルギニンからグリシンへのアミノ酸置換によって、細胞傷害性Tリンパ球(cytotoxic T lymphocytes:CTL)による免疫認識を回避することがある[145]。しかし、この置換はウイルスの適応度を低下させる可能性がある。代償的な共変異(compensatory co-mutation)は、こうした適応度の低下を抑制し、CTLによる認識の回避を助ける働きを持つ[145]。変異の影響は大きく3つに分類できる。(1)適応度を低下させる有害な変異(2)代償性変異によって適応度を高める変異(3)相殺的な作用により適応度への影響がほとんどない中立的な代償性変異である[146][140][139]

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ヒトの進化と疾患への応用

ヒトゲノムにおいて、de novo変異の頻度と特性はヒトの進化に関する重要な要因として研究されてきた。ヒトリファレンスゲノムと比較すると、典型的なヒトゲノムは約410万~500万個所の遺伝子座で差異を持ち、その遺伝的多様性の大部分は集団の約0.5%に共有されている[147]。また、典型的なヒトゲノムには、集団の0.5%未満でしか観察されない4万~20万の稀少な多様体も含まれており、これらはヒト進化の歴史において少なくとも一度のde novo生殖細胞系列変異に由来すると考えられている[148]de novo変異は、ヒトの遺伝性疾患が持続する要因の一つとしても研究されている。近年の次世代シークエンシング英語版(Next generation sequencing:NGS)の進歩により、ゲノム内のあらゆる種類のde novo変異が直接解析可能となり、これらの検出は稀少疾患および一般的な遺伝性疾患の原因解明に大きな知見をもたらしている。現在のところ、ヒトの生殖細胞系列における一塩基多型(SNV)の平均変異率は1.18×10-8と推定されており、世代ごとに約78個の新規変異が生じるとされる。親子間の全ゲノム解析により世代間の変異率の比較が可能となり、特定の遺伝性疾患の起源に関する可能性の絞り込みが行われている[149]

遺伝学用語の改訂

日本では、2010年代後半から遺伝学用語の見直しが進められている。たとえば、「突然変異(mutation)」に関しては、その表現が誤解を招く可能性や差別的なニュアンスを含むとされ、より中立的で機能的な「変異」への置き換えや使い分けが提案されている[150][151]

なお、本記事では、国際的に広く使用されている学術的な用語との整合性を考慮し、従来の用語を使用している。

参照項目

  • 異数性 - 細胞内に異常な数の染色体が存在する状態
  • 多倍数性英語版 - 生物の細胞が2組以上の染色体対を持つ状態
  • ヒト体細胞変異英語版 - ヒトの発生初期段階および成体細胞において体細胞に生じる変異
  • 体細胞超変異英語版 - 免疫系が新たな異物に適応するための細胞機構
  • トリヌクレオチド反復伸張英語版 - トリプレットリピート病に分類される各疾患を引き起こすDNA変異
  • ロバートソン転座英語版 (Robertsonian translocation) - ヒト染色体における2つの異なる染色体の長腕全体が融合する染色体異常
  • シグネチャタグ付き変異誘導法英語版 (signature-tagged mutagenesis) - ランダムな変異体を生成する遺伝子技術
  • ティリング (分子生物学)英語版 (TILLING) - 特定の遺伝子における変異を標的として同定する分子生物学の手法
  • 抗酸化物質 - 他の分子の酸化を阻害する化合物
  • ホメオボックス - 胚発生の初期段階における大規模な解剖学的特徴を調節するDNA配列
  • セキセイインコの色彩遺伝学英語版 - セキセイインコの羽毛における色彩変異を扱う学問
  • エコジェネティクス英語版 (ecogenetics) - 遺伝的形質と環境物質反応との関連性を研究する遺伝学の分野
  • 生態遺伝学英語版 (ecological genetics) - 自然集団における遺伝学の研究
  • 行動変異英語版 (behavior mutation) - 生物の行動様式を制御する遺伝子における変異
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脚注

外部リンク

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