トップQs
タイムライン
チャット
視点

大倭東洋

日本の力士 (1971-2015) ウィキペディアから

Remove ads

大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - 2015年6月24日[1])は、石川県輪島市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は白崎 東洋(しろさき とうよう)。身長179cm、体重142kg。最高位は東十両12枚目(1994年1月場所)。得意技は突き、押し。

来歴

金沢高校から日本大学を経て元関脇栃司入間川部屋に入門。1993年3月場所に同じ日大の大内とともに、幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。幕下をわずか5場所で通過し1994年1月場所で新十両を果たす。師匠が部屋を興して最初の関取となった。しかし、5勝10敗と大きく負け越し1場所で幕下に陥落。更に、幕下落ちした場所の三番相撲(相手は琴龍)で腰を痛める。その後も腰痛は悪化し続け、出場と休場を繰り返し、ついに序二段180枚目まで落ちてしまう。これは十両経験者としては昭和以降、当時3位の最低記録である。序二段の下位でも負け越してしまうなど全く相撲が取れず、1996年11月場所限りで引退した。

上述の通り初土俵から新十両が早く、関取在位中に頭髪が大銀杏を結える長さに到達しておらず、幕下陥落後も十両力士との対戦が組まれなかったため、関取経験者ながら本場所の土俵で大銀杏を結うことなく引退した。また、大倭の四股名を名乗っていたのは唯一十両に在位した1994年1月場所及び翌3月場所のみで、その他の場所では本名の白崎を四股名としていた。

現役引退後は会社員となったが、後に帰郷し、晩年は人工透析を受けていた。2015年6月24日、石川県輪島市にて死去。44歳没[2]

Remove ads

主な成績

  • 通算成績:64勝59敗46休 勝率.520
  • 十両成績:5勝10敗 勝率.333
  • 現役在位:23場所
  • 十両在位:1場所

場所別成績

さらに見る 一月場所 初場所(東京), 三月場所 春場所(大阪) ...

改名歴

  • 白崎 東洋(しらさき とうよう)1993年3月場所 - 11月場所
  • 大倭 東洋(おおやまと -)1994年1月場所 - 3月場所
  • 白崎 東洋(しらさき -)1994年5月場所 - 1996年11月場所

関連項目

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads