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大坂藩
日本の江戸時代初期に、摂津国に所在した藩 ウィキペディアから
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概要
大坂城は天正11年(1583年)に豊臣秀吉によって築城されて以来、秀吉による天下統一、その後のいわゆる「豊臣政権」の中心として機能してきたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い以後は徳川家康が実権を掌握し[1]、それまで天下人の地位を保持してきた豊臣秀頼は摂津・河内・和泉65万7,000石の一大名として押し込められたという解釈においては、大坂藩といえる[2][注釈 1]。
慶長20年(1615年・元和)大坂の陣による豊臣家の滅亡後、伊勢亀山藩より家康の外孫で養子となっていた松平忠明が10万石で入封し、大坂藩が成立した。忠明は大坂の陣で荒廃した大坂の町の復旧に努め、元和5年(1619年)に大和郡山藩に移封となった。大坂藩は廃藩となり、以後は公儀御料として幕府により大坂城代・大坂町奉行が置かれた。幕末となり、将軍徳川家茂や徳川慶喜が一時大坂城に入ったものの、徳川宗家の本拠地として変更されることはなく、廃藩置県まで独立の藩が置かれることはなかった。
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歴代藩主
- 豊臣家
摂関家 - 65万7千石
- 松平家(奥平松平家)
譜代 - 10万石
脚注
関連項目
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