トップQs
タイムライン
チャット
視点

大岡忠喜

日本の江戸時代中期~後期の大名 ウィキペディアから

Remove ads

大岡 忠喜(おおおか ただよし)は、江戸時代中期の旗本大名。大岡忠房家5代当主で、武蔵国岩槻藩第2代藩主。忠善とも伝わるが、誤記と思われる。

概要 凡例大岡忠喜, 時代 ...
Remove ads

生涯

元文2年(1737年)、第9代将軍徳川家重側用人を務めた旗本・大岡忠光の長男として生まれた。宝暦3年(1753年)、将軍家重にはじめて御目見する。翌宝暦4年(1754年)、菊間広縁詰めとなり、従五位下兵庫頭に叙任する。宝暦10年(1760年)、父・忠光の死去により家督を継ぎ、岩槻藩主となる。同年、雁間詰めとなり、奏者番に就任する。安永元年(1772年)、病を理由に奏者番を辞す。安永5年(1776年)、10代将軍徳川家治が日光社参のために往復とも岩槻城に宿泊した際、藩を挙げて対応した。安永9年(1780年)5月、岩槻藩の飛び地である安房国朝夷郡国の商船が漂流すると、郡奉行であった藩士の児玉南柯を派遣して対応している。生来病弱であったため、天明2年(1782年)に家督を長男の忠要に譲って隠居した。文化3年(1806年)に死去。享年69。

系譜

父母

正室、継室

子女

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads