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天野良英

日本の陸軍軍人、陸上自衛官 ウィキペディアから

天野良英
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天野 良英(あまの よしふさ、1910年明治43年〉2月12日 - 2001年平成13年〉3月3日)は、日本陸軍軍人陸上自衛官。最終階級は陸軍中佐陸上幕僚長たる陸将

概要 天野 良英, 生誕 ...

陸士43期、陸大52期。第6代陸上幕僚長、第3代統合幕僚会議議長。息子は第26代西部方面総監天野良晴

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経歴

宮城県登米郡宝江村大字田沼新井田(現・登米市中田町宝江新井田)出身[1]旧制宮城県立佐沼中学校から1927年(昭和2年)4月に陸軍予科士官学校に入校[2]1931年昭和6年)7月、陸軍士官学校卒業(第43期)。同期には次の陸幕長の吉江誠一をはじめ広瀬栄一藤原岩市など。1931年昭和6年)11月、歩兵第17連隊満州事変に従軍[2]1932年(昭和7年)7月、小隊長として遼西匪賊討伐中に負傷し、内地に帰還した[2]1933年(昭和8年)1月、聯隊旗手として再び満州に渡り熱河作戦に参加した[2]1937年(昭和12年)11月、陸軍大学校(第52期)に入校し、恩賜組で卒業。1940年(昭和15年)、第22軍参謀として仏印進駐作戦を指導[2]1944年(昭和19年)3月、第27軍参謀として千島列島択捉島に赴任[2]。その後、東部軍参謀を経て、参謀本部参謀で終戦を迎える[3]

戦後は公職追放を経て、1952年(昭和27年)7月に警察予備隊に入隊。第2師団長、陸上幕僚副長を経て、1965年(昭和40年)1月に第6代陸上幕僚長に就任。陸幕長時代に婦人自衛官の部隊を新設するため、WACの幹部を米国研修に行かせている[4]

陸幕長を1年努め、同期の吉江誠一に譲り統幕議長になったが、これも陸士同期である航空幕僚長牟田弘國に譲り1年余で退官した[4]

旧軍時代から誰からも愛される人物で、陸自時代も同期からの支援も高かく、また後輩の面倒をよく見たという[4]。大森前陸幕長が不評であったため、それに対比されて人気は高かったという[4]

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年譜

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栄典

関連項目

脚注

参考資料

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