トップQs
タイムライン
チャット
視点
女満別駅
北海道網走郡大空町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
Remove ads
女満別駅(めまんべつえき)は、北海道網走郡大空町女満別本通1丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅である。電報略号はメマ。事務管理コードは▲122533[2][3]。駅番号はA67。全ての定期列車が停車する。
Remove ads
歴史
要約
視点

当地における鉄道は当初、計画されていた経路は網走湖の西側を通るものであった。この経路では美幌や女満別を鉄道が通らないことから、地元からの熱心な陳情が行われ、実際に建設されたように網走湖東側を通る現行経路に変更された[5]。
経路が決まった後、駅の建設位置が検討された。当時の女満別では目立った市街地らしい集落はまだなかったため、将来的な市街地の発展を考慮して駅の配置を決める必要があった。当初候補地とされたのは、平坦で既に開拓が進んでいた現在の本郷13線(女満別本郷地区内、現在駅の南西)付近であったが、この地は海抜が低く、当時は網走川の治水が進んでいないこともあって水没しやすい難点があった。このため、農耕に適さず開拓が進んでいなかったという難点はあったものの、周囲が高台で水没の危険が少ないという理由で現在地点が選択された。こうして1912年(大正元年)に女満別駅が開業した[5]。
駅の開業によりこの地区は急激に発展し、開業時に女満別の人口は870人であったのが、8年で3,821人にまで増加した。駅前には商店街ができ、農産物の出荷が盛んにおこなわれて経済的にも発展するようになった。戦時中には、女満別に美幌海軍航空隊第二基地がおかれたことから、基地への引き込み線も建設された。戦後は農協の事務所や倉庫が駅前に置かれて農産物の出荷がさらに盛んになった[5]。
しかし自動車の普及により駅の利用は減少し、駅前の商店は次第に減少していった。1984年(昭和59年)に貨物扱いが廃止され、簡易委託駅となった。1990年(平成2年)に図書館を併設する新駅舎となり、1993年(平成5年)には簡易委託も廃止となって無人駅になった[5]。
年表
- 1912年(大正元年)10月5日:鉄道省網走線野付牛駅(現在の北見駅) - 網走駅(後の浜網走駅)間開業にともない開業[6][7]。一般駅[1]。
- 1923年(大正12年)11月18日:池田駅 - 野付牛駅 - 網走駅間を網走本線に改称。同線所属となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:新旭川駅 - 網走駅間を石北本線に改称[6]。同線所属となる。
- 1974年(昭和49年):跨線橋設置。
- 1981年(昭和56年)10月1日:同日のダイヤ改正で急行「大雪」の一部が特急「オホーツク」に編入格上げとなり、特急列車停車駅となる[8]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[6]。
- 1990年(平成2年)11月18日:女満別町図書館(現:大空町立女満別図書館)と併設の新駅舎完成[10][11]。
- 1993年(平成5年)6月1日:簡易委託廃止、無人化。
- 2002年(平成14年)12月1日:同日のダイヤ改正で特急「オホーツク」の当駅通過便(下り1・5号、上り4・8号、いずれも当時)が停車するようになり、全定期列車が停車するようになる[12]。
駅名の由来
Remove ads
駅構造
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。網走方面に構内踏切がある。
網走駅管理の無人駅。大空町立女満別図書館(1階から3階)に駅待合室(1階)が入居している形となっている[10]。夜間などの図書館閉館時は待合室も閉鎖されるため、建物横の屋外通路を利用する。 かつてはキヨスクが駅舎内で営業しており、乗車券の委託販売も行われていた。
のりば
- 駅舎内観(2021年9月)
- ホーム(2018年7月)
- 構内踏切(2018年7月)
- 駅名標(2018年7月)
利用状況
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
駅周辺
隣の駅
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■石北本線
→特急・特別快速・快速列車の停車駅については「オホーツク (列車)」を参照
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads