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存牛
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存牛(ぞんぎゅう、応仁3年4月5日(1469年5月16日)[1] - 天文18年12月20日(1550年1月7日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての浄土宗の僧。浄土宗総本山知恩院25世。父は三河国の松平氏宗家第四代松平親忠。号は尊蓮社超誉。諡号は高顕真宗国師。
1481年(文明13年)祖父松平信光が建立した三河国信光明寺の開山で、増上寺開山聖聡の弟子だった存冏に師事して出家。その後父親忠が開基となり中興した大恩寺の開山で、同じく聖聡の弟子だった了暁に教学を学び、1511年(永正8年)信光明寺3世となる。また松平郷高月院第七代住持も務めた。
1520年(永正17年)、同じく了暁門弟だった知恩院24世訓公の遺言で後継者に推されるもののこれを固辞。しかし後柏原天皇の綸旨と知恩院門末の懇請により、翌年京都知恩院25世を継いだ。応仁の乱(1467年-1477年)で荒廃した知恩院を再興するとともに皇室との関係を深め、後柏原天皇から浄土門総本寺と公称することを勅許され、さらに後奈良天皇より知恩教院、大谷寺の勅願を賜った。
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脚注
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