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宇佐美春三郎
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宇佐美 春三郎(うさみ しゅんざぶろう[1]、1845年(弘化元年12月[1]) - 1894年(明治27年)2月22日[1])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。
経歴
豊後国速見郡、のちの日出町で[2]、酒造業・老舗「南郡屋」に生まれる[3]。米良東嶠の門に入り漢学を修めたのち洋学にも傾倒した[2]。1876年(明治9年)大分県会議員に当選し、以来副議長[4]、常置委員、地方衛生会委員、県徴兵参事会員、商法会議所頭取を歴任した[5]。ほか、金融業・朝陽社を興し社長に任じ、貧民救助財団恵愛社管理者を務めた[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では大分県第4区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]。弥生倶楽部に属した[1]。
親族
- 孫 宇佐美健吉(日出町長、実業家)[3]
脚注
参考文献
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