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宇留野純
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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宇留野 純(うるの じゅん、1979年10月23日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
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来歴
三菱養和U-15在籍時には同期の井手口純、三上卓哉と共にU-15高円宮杯で全国優勝。1995年に桐光学園高等学校へ進学し、井手口や1年先輩の中村俊輔、佐原秀樹と共に1996年度の全国選手権で準優勝。
1998年、プロ化移行を計る本田技研工業サッカー部に社員選手として[1] 入団。しかし宇留野加入後間もなくして本田はJリーグ参加を断念した[1]。長澤徹コーチとの個人練習が実を結び[2]、2000年より主力の一角として台頭。安間貴義監督の下で自身のプレースタイルに磨きをかけた[3]。
2005年初頭、精巣腫瘍と診断され、すぐに手術を受けた[4]。この際、医師からは転移の可能性を危惧し抗がん剤治療を勧められたが、サッカーを続けるためにこれを固辞[4]。同時期に徳島ヴォルティス、ヴァンフォーレ甲府、愛媛FCからオファーが届いていたが、断らざるを得なかった[5]。
2005年末、リーグベストイレブンを受賞し、安間がコーチを務めるJ1ヴァンフォーレ甲府より再びオファーを受ける。宇留野の固い決意に触れた長澤からも背中を押され[6]、2006年より甲府へ移籍。自身念願のJリーガーとなった[4]。
2012年、タイ・ディヴィジョン1リーグのバンコク・ユナイテッドFCに加入[7]。自身初の国外でのプレーとなった。背番号は甲府、熊本時代でも通して付けていた11番。バンコク・ユナイテッドFCでは、タイ・ディヴィジョン1リーグで3位に入りタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献する。
2013年、タイ・ディヴィジョン1リーグのエアフォース・ユナイテッドFCに移籍しリーグ優勝に貢献。
2014年、古巣のHonda FCへ移籍[8]。しかしその年に退団[9]。
2015年、タイのリージョナルリーグ・ディヴィジョン2に所属するウボンUMTユナイテッドFCに入団[10]。
同年限りで引退、現在はサッカー指導者として活動中[11]。
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所属クラブ
- 1988年 - 1991年 鶴ヶ島栄FC
- 1992年 - 1994年 三菱養和SSジュニアユース
- 1995年 - 1997年 桐光学園高等学校サッカー部
- 1998年 - 2005年
本田技研工業サッカー部 / Honda FC
- 2006年 - 2008年
ヴァンフォーレ甲府
- 2009年 - 2011年
ロアッソ熊本
- 2012年
バンコク・ユナイテッドFC
- 2013年
エアフォース・ユナイテッドFC
- 2014年
Honda FC
- 2015年
ウボンUMTユナイテッドFC
個人成績
タイトル
出演
- Changeの瞬間 〜がんサバイバーストーリー〜 (2020年6月14日・21日、朝日放送ラジオ)[12]
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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