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宮本武蔵 巌流島の決斗
1965年の映画。内田吐夢監督 ウィキペディアから
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『宮本武蔵 巌流島の決斗』(みやもとむさし がんりゅうじまのけっとう)は、1965年(昭和40年)9月4日公開の日本映画である。東映製作・配給。監督は内田吐夢、主演は中村錦之助(萬屋錦之介)。富士フイルムカラー、東映スコープ、121分。
吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした、「内田監督・中村主演の『宮本武蔵』シリーズ」全5部作の最終作。
本作の冒頭において、前4作(『宮本武蔵』・『般若坂の決斗』・『二刀流開眼』・『一乗寺の決斗』)のそれぞれのダイジェストが数分程挿入されている。
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スタッフ
キャスト
- 細川忠利(細川家当主):里見浩太郎 (里見浩太朗)
- お通:入江若葉
- 朱美:丘さとみ
- 柳生但馬守宗矩(将軍家指南役):田村高廣
- 林彦次郎(元吉岡道場門弟):河原崎長一郎
- 本位田又八:木村功
- 本阿弥光悦:千田是也
- 岩間角兵衛(細川家家老):内田朝雄
- 小林太郎左衛門(下関の宿屋主人):清水元
- 厨子野耕介の女房:日高澄子
- お杉:浪花千栄子
- お光(角兵衛の姪):三島ゆり子
- 三沢伊織(武蔵の弟子):金子吉延
- 縫殿介(長岡佐渡の近習):神木真寿雄
- 岡谷五郎次(細川家家臣):有川正治
- 北条安房守:中村錦司
- 酒井忠勝(幕閣):北竜二
- 榊原康政(幕閣):高松錦之助
- 本多忠勝(幕閣):那須伸太朗
- 厨子野耕介(刀研ぎ師):中村是好
- 佐助(船頭):嶋田景一郎
- 半瓦弥次兵衛(侠客):中村時之介
- 菰の十郎(半瓦の子分):鈴木金哉
- 半瓦の子分:遠山金次郎
- 秩父の熊五郎(馬喰):尾形伸之介
- 野武士の首領:岩尾正隆
第一部〜第四部ダイジェスト(アヴァンタイトル/ノンクレジット)
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製作
シリーズの企画者である岡田茂東映京都撮影所所長は[2]、時代劇から任侠路線の切り換えを決断しており[2]、製作に難色を示したが[2]、製作費を削った上で製作を決めた[2]。1965年3月29日にあった製作記者会見でのタイトルは『宮本武蔵・完結編』であった[3]。
キャスティング
1964年8月に山城新伍とともにハワイから拳銃を持ち帰り[4][5][6]、ヤクザに譲渡した罪で[4][5]、1965年2月に京都地裁から懲役8ヶ月(執行猶予3年)の判決を受けた里見浩太朗は[4][5][7]、『日本侠客伝 浪花篇』以降、実質干されていたが[4]、静岡の禅寺に籠る里見を見た中村錦之助が、内田吐夢監督に里見の起用を進言した[4]。錦之助が主演した『ちいさこべ』や『冷飯とおさんとちゃん』の原作者である山本周五郎が、里見のデビュー当時からのファンで[4]、山本が錦之助に「里見を助けてやれないか」と頼んだといわれる[4]。
撮影記録
1965年4月、滋賀県饗庭野でクランクイン[3]、1965年6月末、クランクアップ[8]。巌流島の決闘は滋賀県琵琶湖畔の近江舞子を見立てて撮影された[7]。
興行
東映初の試みとして本格的ロードショーが、一般公開に先立つ1965年7月24日から8月12日までの12日間、丸の内東映のみで本作一本立ての特別興行が行われ[2]、1日平均100万円を割らない大ヒットで、同劇場の興行成績を更新した[2]。1964年6月27日公開の『鮫』でも同様の先行上映をやったが『鮫』は先行上映の後、一般上映に引き継いだが、今回は先行上映の後、24日も間を開けた[2]。
併映作品
『怪談片目の男』
脚注
参考文献
外部リンク
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