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平幹二朗

日本の俳優、演出家 (1933 - 2016) ウィキペディアから

平幹二朗
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平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年昭和8年〉11月21日 - 2016年平成28年〉10月22日[1])は、日本俳優演出家ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大

概要 ひら みきじろう 平 幹二朗, 本名 ...

主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマ映画などでも活躍した。

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生涯

要約
視点

出生から学生時代まで

平幹二朗は1933年11月21日広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。生後9か月の時に父・文雄が病死[2]。家の造りは京都町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった[2]。そこに祖母と母と幹二朗の3人で住んでいた[2]

小学6年生の初め、幹二朗は広島県東部の甲奴郡上下町(現・府中市)の母方の大叔父宅に疎開する[2]。母は流川町郵便局で働くようになっていたので広島に残った[3]。郵便局は原爆ドームから800mほどの距離で、1945年8月6日原爆投下の朝、通勤途中だった母はビルの陰で靴を履き直していたため光線を受けなかったので生き残った[3]。終戦後まもなく母は上下町の家で危篤状態になり、子供のない農家の大叔父に「うちの子になるか」と言われたが、幹二朗は「農家の子供になるのはイヤだなぁ」と思ったという[3]

内気な少年だった幹二朗が演劇にかかわるのは、上下高校の時だった[4]

俳優として

映画監督になりたい」という漠然とした夢は持っていたが、それには大学に行って会社に入らなければならなかった[4]が、理数系が苦手だった[4]

困っている時俳優座養成所の募集記事を読んだ[4]。そこが3年間の俳優教育をする学校だった[4]。しかし養成所の試験に落ちた[4]。翌年には合格、俳優座養成所五期生となった[5]。同期に木村俊恵今井和子藤田敏八ジェームス三木[6]1956年俳優座座員となり、同年『貸間探し』で初舞台。以後、『千鳥』『四谷怪談』『ファウスト』などに出演。端整な容姿と、スケールの大きさを感じさせる演技で注目され、仲代達矢加藤剛とともに同座の若手ホープと目される。

1963年、テレビドラマ『三匹の侍』にレギュラー出演。五社英雄演出のリアルな殺陣によりテレビ時代劇の流れを大きく変えたこの作品で、虚無的な浪人・桔梗鋭之介役が人気を集めた。お茶の間にもおなじみの顔となり、時代劇を中心に多くの主演ドラマを持った。1968年フリー。浅利慶太演出『アンドロマック』の出演を機に劇団四季に客員し1968年、浅利慶太演出『ハムレット』で主役を演じ、各界から高い評価を受ける[6]。続く『狂気と天才』などの演技も高く評価され、日本を代表する舞台俳優の一人となる。

四季がミュージカルに力を入れ始めたころ蜷川幸雄に出会い、1976年に蜷川演出『近代能楽集 卒塔婆小町』主演を皮切りに、『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWAマクベス』『タンゴ・冬の終わりに』『テンペスト』『グリークス』『リア王』など長年に渡り蜷川演出作品に主演、海外公演でも高い評価を得る。1993年には、東京グローブ座シェイクスピア全37作品上演に挑戦するという壮大な計画を発表。以後『マクベス』(1993年)、『ハムレット』(1994年)、『オセロ』(1995年)、『十二夜』(1995年、1998年)、『リア王』(1997年)、『テンペスト』(2000年)など、着実に実行していった。陰影に富んだ格調の高い演技で悲劇的人物を得意としていた。

テレビドラマにも多数出演。特に大河ドラマの常連俳優の一人で、計7回出演[7]1970年放送の『樅ノ木は残った』で主人公の原田甲斐を演じ、大河ドラマ初出演にして初主演を果たす。つづく1973年放送の『国盗り物語』では前半の主人公の斎藤道三を演じ、後半の主人公の織田信長演じる高橋英樹と共に主演をする。大河ドラマとして初の複数回の主演をつとめた。撮影で高橋英樹と共演した平は、「高橋信長の若さがうらやましかった」と後述している[8]1988年放送の『武田信玄』では、中井貴一演じる主人公・武田信玄の父である武田信虎を演じ、横暴な支配者と失意の流浪者という全く相反する姿を演じている。1991年の『太平記』には北畠親房で出演予定があったが、翌年の『信長 KING OF ZIPANGU』のために同じく出演予定のあった緒形直人と共に降板。緒形は翌年の主演が決定した。1992年放送の『信長 KING OF ZIPANGU』では織田家を惑わす架空の祈祷師で物語の裏の主人公である加納随天を演じ、不可解さと迫力に満ちた演技を見せつけた。その後も2005年放送の『義経』では後白河法皇を演ずるなど助演としても多数出演。最後の出演は2008年放送の『篤姫』で、調所広郷を演じた。大河ドラマ以外でも『三匹の侍』、『眠狂四郎』、『新選組始末記』、『不毛地帯』など主演代表作は数多い。また映画出演も多く、『他人の顔』、『天城越え』、『帝都物語』などの代表作がある。演出家としての顔も持ち、中村玉緒主演の舞台等の演出も手がけた。

1998年紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章。2013年、赤坂マネージメント事務所からケイファクトリーへ移籍。晩年は長髪を束ねる髪型をしていた。

死去

2016年10月23日、自宅の浴槽で倒れているのを訪れた息子の岳大により発見され、後に死亡が確認された[9][10]。出演中だったフジテレビのドラマ『カインとアベル』が遺作となった[11][12]警視庁北沢警察署での遺体検案などで死亡に事件性がないと判断されたことを受け、遺族の決定により死亡日を10月22日とし、死因は不明としたことが明らかにされた[13][1]満82歳没

葬儀青山葬儀所で行われ、喪主は平岳大が務めた。10月27日の通夜では元妻の佐久間良子を初め、北大路欣也三田佳子渡辺謙南果歩内野聖陽高橋惠子和泉元彌榎木孝明本田博太郎佐藤隆太林遣都らが、10月28日の告別式では佐久間良子を初め、藤原竜也富司純子堤真一栗原小巻佐々木蔵之介中尾彬中村玉緒山田涼介桐谷健太竜雷太市川猿之助夏木マリ浅利慶太らが出席。代表して栗原小巻と演出家の鵜山仁が弔辞を述べた。出棺時には、代表作の一つ『王女メディア』の劇中で使用されたヘンデルの「サラバンド」が流された[14]

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家族・親族:平家

広島県広島市中区小網町、東京都世田谷区
広島市内の「小網町」あたりは当時、興行街で、映画館芝居小屋がたくさんあって、大きな寿座という小屋には旅興行の歌舞伎や新派が来ていた[2]その街にある三光寺という寺の門前の両側、20軒ずつぐらい小さな家が並んでいた[2]。その中の一軒が幹二朗の生家だった[2]。夕方になると三味線の音や歓楽街のざわめきが聞こえてくるような所で、幹二朗は遊廓を抜けて小学校に通っていた[2]。自身の家系について、幹二朗によれば「うちは原爆過去帳がなくなったんですが、僕の友達でいろいろ調べてくれた人がいまして、それによると平の祖父母は質屋をやっていて十軒ほど家作[15] を持っていたらしいんです[2]。思うに僕の家もその一軒で、うちは他の家作[15] から上がる家賃で暮らしていたんじゃないでしょうか[2]。だから祖母も母も働かないで何とかやっていけたんだと思います[2]。」という。
祖母[2]
祖母は幹二朗が小学校に上がる前に他界[2]
父・文雄[2]
文雄は広島の大きな廻船問屋の長男だったが、継母に子供がたくさん生まれたので家に居づらくなり、自ら望んで平家の養子になった[2]。その養母が幹二朗の祖母である[2]。文雄は幹二朗が生後九ヵ月の時に病死[2]。そのため幹二朗には兄弟がなく、父の記憶もない[2]
母・久代[2](池田福吉の娘)
カナダ生まれで移民二世の母は敗戦後、原爆の後遺症に苦しみながら、東京のワシントンハイツメイドの仕事等、様々な仕事を続けて幹二朗に仕送りを続けた[16]。久代の父池田福吉は広島県甲奴郡上下町で誕生[16][出典無効]。豊かでない家庭に生まれた福吉は出稼ぎラハイナ(アメリカ)へと渡った[16]。そこで福吉は同じく出稼ぎにきていた、後に結婚するトキと出会った[16]。福吉は次にバンクーバー(カナダ)へと出稼ぎに向かった[16]。当時、この地のパウエルストリートは日系人に溢れ、日系ミュージアムの資料には福吉の名も記されていた[16]。福吉は当時の移民に排他的な雰囲気に負けず、日系人のための下宿屋をはじめた[16]。カナダの知的財産庁のホームページを調べると、福吉は下水処理装置を開発するなどの功績を残していた[16]
元妻・佐久間良子女優
幹二朗が1968年、ドラマ『お吟さま』で共演した佐久間と結婚したのは、NHK大河『樅の木は残った』に主演した36歳の時だった[17]1970年4月16日、佐久間と霊南坂教会で挙式[18]1974年7月27日双子の一男一女が生まれた。1984年5月に離婚[19]。子供達は佐久間のもとへ渡った。
長男・平岳大(俳優)
岳大は当初、俳優になることに抵抗を持っており、アメリカに渡った後、一般企業に就職していた。しかし、その後、考えを改めて俳優になることを決めたとき、喜んで賛成したという[20][出典無効]。俳優になってからは幹二朗のことを先輩・演技の師・父として濃密な時間を過ごすことができたと記している。[21]
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後任

平の死後、役を引き継いだのは以下の通り。

出演

舞台

テレビドラマ

映画

劇場アニメ

吹き替え

朗読

バラエティ

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受賞・受章

脚注

参考文献

外部リンク

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