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宮田繁男
日本のドラマー、音楽プロデューサー (1958-2014) ウィキペディアから
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宮田 繁男(みやた しげお、1958年5月3日 - 2014年3月30日[1])は、日本のドラマー・音楽プロデューサー。
略歴・人物
高校1年生のとき、アマチュア・バンド“ミスター・アフガニスタン”を結成。当初はベースを担当していたが向いていないと感じ、“ちょっとやらせて”とドラムをやってみたところ最初から16ビートが叩け、「あ、俺はドラムだったんだ」と思い、以降ドラムを担当することになる[2]。演奏時、左手のスティックはトラディショナル・グリップで持つ。当初はアメリカなどをコピーしていたが、宮田がドラムを担当してからはデビュー前のシュガー・ベイブをコピーし、ハネたグルーヴを得意とするようになった[2]。
青山学院大学入学を機に上京、音楽サークル“Better Days”に入る。宮田が大学1年のときBetter Daysのメンバーを中心に結成されたサザンオールスターズがデビューし、1981年に原由子のソロデビュー時、そのバックバンドとしてサークルの後輩の中から宮田を含む数人が選ばれた。宮田は当時まだ学生だったが原のソロ・アルバム『はらゆうこが語るひととき』[3]でレコーディングデビューを果たす。その後サザンの全国ツアーの中で原のソロコーナーがあり、宮田もツアーメンバーとして同行した。
1981年12月11日 - 14日、桑田佳祐が“嘉門雄三とVictor Wheels”を名乗り、渋谷Eggmanで行ったライブに参加する[4]。以降しばらくはH2OやLady oh!等、アミューズ所属アーティストのバックを担当するようになる。
大学卒業後一度は就職するものの程なく退職し[2]、とんねるずのコンサートのバッキングを務め[5]、その後Better Daysのサークル仲間だった高浪慶太郎と小西康陽を中心に結成されたピチカート・ファイヴのサポートを担当する。
1990年8月、オーディションでオリジナル・ラヴに参加し、1993年12月末まで在籍した。1994年秋、ほぼ同時期にオリジナル・ラヴを離籍した村山孝志、事務所のオーディションに合格した田仲玲子と共にファースト・インプレッションを結成、2枚のアルバムをリリースし(「WHAT’S NEW」(1995年、EPCA7004)、「supernatural」(1996年、EPCA7008))、1996年に活動を終了した。
ドラマーとして多数のセッションに参加のほか、アレンジやプロデュースも数多く手がけた。2008年からは“soft soul of illadelphia”[6]のメンバーとしても活動していた。病気療養のうち、2014年3月30日午前5時27分に死去した[1]。55歳没。ギタリストの渡辺格やヴォーカリストの今井マサキがそれぞれ自身のブログにて故人を偲んでいる[7][8]。
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楽曲
要約
視点
アーティスト名は50音順、曲名は発売順に列記。
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脚注
外部リンク
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