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サエキけんぞう

日本のミュージシャン、作詞家、音楽プロデューサー (1958-) ウィキペディアから

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サエキ けんぞう1958年7月28日 - )は、日本ミュージシャン作詞家音楽プロデューサー

概要 サエキ けんぞう, 出生名 ...

千葉県市川市出身。 本名は佐伯 健三(読み同じ)。当初は漢字表記でミュージシャン活動をしていたが、画数占いにより、カタカナ・ひらかな表記に変更。 1983年に結成された日本のロックユニットパール兄弟ボーカルとして活動。作詞家として数々のアーティストに詞を提供している。

来歴

小学生の頃からロック・マニアとなり、小学5年からディスクユニオンに入り浸った。

千葉大学教育学部附属中学校に進学。はっぴいえんどのコンサートに行き、大きな影響を受ける。

千葉県立千葉高等学校に進学。高校時代に、比賀江・石原らと、メンバー非固定のバンド少年・ホームランズを結成。のちにハルメンズに参加する上野耕路(同じ高校の1年後輩)もサポートメンバーとして参加する。

1978年 - 1年の浪人ののち、徳島大学歯学部に入学。

1980年 - 大学を休学し、ハルメンズ(メンバーはサエキの他、上野耕路、比賀江隆男、泉水敏郎、石原智広)のボーカリストとしてアルバム『ハルメンズの近代体操』でデビュー。デビュー後すぐ、上野がゲルニカの結成に動くなどして、ハルメンズの活動は停滞する。

1982年 - 戸川純野宮真貴を加え、解散ライブ「ハルメンズの伝説」を目黒鹿鳴館で行う。

1983年 - 窪田晴男中原信雄らとパール兄弟を結成する。

1985年 - 徳島大学歯学部を卒業し、日本大学松戸歯学部補綴学教室に入局(1992年頃まで在局)[1]

1986年 - アルバム『未来はパール』でポリドール・レコードからパール兄弟でデビュー。

1995年 - セルジュ・ゲンスブールをリスペクトするイベント「ゲンスブール・ナイト」を開始。

2003年 - フランスでソロ・アルバム『スシ頭の男』を発表。

2008年 - 『みんなのうた』(NHK)で採用された楽曲「光のゲンちゃん」作詞を担当。

2010年 - 獨協大学にて「全学総合講座・メディア社会とロック」を講義(2022年現在も講義は継続中)。

2011年 - 「ニュー ウェイヴほぼ30周年祭り」公式Ustream番組として、加藤賢崇と「けんぞう&けんそうのHELLooニューウェイヴ)」(のち「ハロニュー!」に)を開始。

2012年 - 上記講義をまとめた著書『ロックとメディア社会』にて、ミュージック・ペンクラブ音楽賞ポピュラー部門・著作出版物賞を受賞。

2015年 - 泉水敏郎、吉田仁郎らとバンド・ジョリッツを結成。

2017年 - 1月で「ハロニュー!」が中断。

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人物・その他エピソード

  • 歯科医師の免許を持っており、勤務医を務めた経験もある。矢野顕子はサエキに歯の治療をしてもらった事がある。
  • 兄は青山学院大学名誉教授の佐伯真一[2]評論家篠原章はいとこ。
  • ニュースキャスター安藤優子は、幼稚園と小学校時代の同級生。
  • ハルメンズ」のメンバー、比賀江隆男も同級生である。
  • 中学時代の同級生に、後の「少年ホームランズ」・「ハルメンズ」の石原智広がいた。この頃、バンド・はっぴいえんどのコンサートで衝撃を受け、地元のサザンロック系のバーに入り浸る。青林堂を訪れ、長井勝一に会う。
  • 2009年春よりイベント「TOgether」を継続的に主催するなど、アイドルのプロデュース活動も積極的に始める。文筆家としても活動している。

主な作品

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

わ行

アニメソング

著書

共著

解説

WEBインタビュー

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メディア出演

テレビ番組

ラジオ番組

Podcast

映画

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その他の活動

1993年、千葉商科大学の「経済学特殊講義」に招かれ、音楽産業(ロック業界の裏話)について話した。[3]なお、この科目の担当教官は従兄弟の篠原章であった。

脚注

参考文献

外部リンク

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