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尊光入道親王

江戸時代の法親王 ウィキペディアから

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尊光入道親王(そんこう にゅうどうしんのう[1]正保2年9月29日1645年11月17日)- 延宝8年1月6日1680年2月6日))は、 江戸時代入道親王知恩院第2代宮門主幼名は栄宮(よしのみや)、は良賢(よしかた)、法名は尊光。後水尾天皇の第十二皇子、母は権大納言四辻季継典侍四辻継子

概要 尊光入道親王, 続柄 ...

親王宣下を蒙った後に出家しているので、身位は入道親王が正しいが、これを出家後に親王宣下を蒙った法親王と混同し、間違って「尊光法親王」とした文献も多く存在している。

来歴

慶安4年(1651年)2月に三代将軍徳川家光猶子となり知恩院に入る。承応3年(1654年)4月6日に後光明天皇から親王宣下を蒙り良賢親王(よしかたしんのう)を名乗る。明暦2年(1656年)5月8日知恩院第35世門主勝譽旧応を戒師として入室得度し、同年7月1日改衣。寛文2年(1662年)研学のために関東へ下向し、増上寺第25世法主頓譽智哲より受法。寛文6年(1666年)8月11日には後水尾上皇に法然の「一枚起請文」を講じている。延宝7年(1679年)11月10日二品に叙せられた。戒名は無量威院宮大蓮社超譽勝阿神竜尊光大和尚。

出典

参考文献

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