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尊証法親王

江戸時代の法親王 ウィキペディアから

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尊証法親王尊證法親王・そんしょうほっしんのう、慶安4年2月10日1651年3月31日) - 元禄7年10月15日1694年12月1日))は、江戸時代前期の法親王後水尾天皇の第十七皇子で、母は園国子(新広義門院)。幼名は玲瓏宮(ゆらのみや)、諱は周賢。正式な出家が親王宣下後であるため、入道親王とする表記もある[1]

概要 尊證法親王, 続柄 ...

経歴

承応2年(1653年)に青蓮院門跡相続、明暦2年(1656年)に青蓮院に入室、万治3年(1660年5月親王宣下を受けて周賢と名乗り、7月良尚法親王を師として出家して尊證と称する。寛文9年(1669年)に天台座主に補任され、同13年(1673年・延宝元年)に二品親王に叙されて天台座主に再任、元禄6年(1693年)にも3度目の補任をされるが辞退している。書道の達人で後世に「尊證流(尊証流」)と称される流派を創始した[2]

元禄7年(1694年)に44歳で薨去。実兄の尭恕法親王の撰で諡号を後桂蓮院とされた。

脚注

参考文献

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