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小川三男
日本の政治家 ウィキペディアから
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小川 三男(おがわ みつお、1902年1月4日 - 1970年8月24日[1]、別名・小川光生[2])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(2期)。兄は衆議院議員を歴任した小川豊明。
経歴
千葉県香取郡多古町喜多出身。多古農(現・千葉県立多古高等学校)中退[2]。
夜学生のときに大杉栄に私淑し、1932年の米よこせ運動に参加して逮捕されたほか、1933年には新聞印刷工組合正進会を結成し出版法違反で服役した[2]。
1937年に帰郷し、1938年に香取家禽組合改革に着手。1940年に成田鉄道(現・千葉交通)に入るが、1941年の日米開戦(太平洋戦争)に際して検挙される[2]。
戦後は日本共産党に入り成田町議などをつとめたが、のちに日本社会党に転じる。1964年、兄豊明の地盤であった衆院旧千葉2区補欠選挙に出馬して衆議院議員に初当選し、以来2期務める[2]。在任中は三里塚闘争を支援し、国会でも成田空港問題を数多く取り上げたほか[3][4][5]、一坪共有運動や天神峰現闘本部の登記に名義貸しをしていた[6][7][8][9]。
1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選、政界を引退した[2]。
1970年死去[2]。
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著書
- 小山内龍 装幀・挿絵『寓話集 猫のひとりごと』 (組合出版、1947年)
脚注
参考文献
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