トップQs
タイムライン
チャット
視点

小玉治行

日本の政治家 (1900-1972) ウィキペディアから

Remove ads

小玉 治行(こだま はるゆき、1900年明治33年)9月12日[1] - 1972年昭和47年)5月8日[2])は、大正末から昭和期の裁判官弁護士政治家衆議院議員

経歴

大分県[2]大野郡犬飼村石井(犬飼町石井を経て現豊後大野市)で小玉土五郎の二男として生まれる[3]。小学校卒業後、家業を手伝い講義録で独学し、1921年(大正10年)専検に合格[3]。1922年(大正11年)中央大学法学科に入学して特待生となり、1924年(大正13年)首席で卒業して特別賞を受けた[2][3]

1924年、高等試験司法科試験に合格[3]。裁判所書記兼司法属を経て[2]、1925年(大正14年)司法官試補に任官し[2]、1926年(大正15年)長崎地方裁判所判事に発令された[3]。その後、飯塚、一の宮、盛岡、千葉で勤務し、東京控訴院判事、東京刑事司法裁判所部長を経て、1947年(昭和22年)大審院判事に就任[2][3]。ほどなく退官して弁護士を開業した[3]

1947年4月の第23回衆議院議員総選挙大分県第1区から日本自由党所属で出馬して落選[4]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙民主自由党公認で出馬して当選し[2][3][5]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、衆議院法務委員会委員、同地方行政委員会委員などを務めた[3]。その後、第25回第26回第28回総選挙に立候補したがいずれも落選した[6]

その他、自由民主党法律顧問、同党法律相談部長などを務めた[3]

Remove ads

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads