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小田朋美

日本のシンガーソングライター (1986-) ウィキペディアから

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小田 朋美(おだ ともみ、1986年9月9日 - )は、日本シンガーソングライターキーボーディスト作詞家作曲家編曲家グランドファンク所属[1]神奈川県生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。

概要 小田 朋美, 生誕 ...

概要

要約
視点

坂本龍一渋谷慶一郎に続く「東京芸大作曲科卒の非クラシック系アーティスト」[2][3][4][5]。高い作曲力はもちろんのこと、オーケストレーション規模でフーガから現代的な響きまで駆使する完成された編曲能力、古典からモダンポリリズムに至る、独特で卓越したピアノの演奏能力、トランシーなまでの濃厚な歌唱力と、圧倒的で全方向的な才能の持ち主[3][4][5]

アマチュア時代は自らのピアノ弾き語りに弦楽四重奏団を加えたスタイルで活動を続けていた[5]。それ以外にもドラムの田中教順とのデュオ、津軽三味線奏者二代目 高橋竹山とのデュオ、ときにはアイリッシュ音楽など、様々なジャンルの音楽のライブを行っている[6]

ソロ活動の他、ビッグバンドdCprG(Date Course Pentagon Royal Garden)でキーボードコーラス、ポップバンドのCRCK/LCKS(クラックラックス)ではボーカルとキーボードを担当。詩と音楽のコラボレーション集団「VOICE SPACE」[注 1]コンポーザーとしても活動[3]

幼い頃からピアノを弾いていたが歌も好きだったのでずっと歌いたかったが、引っ込み思案の性格のために裏方に徹しようと高校[注 2]と大学ではずっと作曲を勉強していた[8]。しかし2011年頃から「やりたいことはやらなくちゃダメだ」と思うようになり、そこから弾き語りのライブ活動を始めた。その時に「エアプレーン・レーベル」のA&Rに「CDを作ってみないか?」と声をかけられ、1stアルバムを出すことになった[8]

音楽のルーツ

母親がピアノの先生だったので物心つく頃からピアノを習っており、家のグランドピアノで遊んでいるような感じだった。音楽家になりたいと思ったのは、3、4歳のころ[7]。クラシックでは母親が好きでよく弾いていたショパンと彼のような曲を作りたいと思ったベートーヴェンポップスでは中学生の頃にファンだったMISIAに心を惹かれた[7]。クラシックの方向からピアノを通して音楽に入っていくという感じだった[7]。クラシックはある意味やらなければいけないことでもあったので、ポップスも息抜きとして大切な存在だった[7]。しかしやはりクラシックが好きで、中でもバッハ平均律を弾くのがすごく好きだった[7]

作曲は作曲技法とまではいかないが簡単な形式などを教えてもらっていたので、それに従って幼い頃からメロディーとハーモニーを作っていた[7]。作詞はそれに比べると少し苦手で、所属する「VOICE SPACE」では詩人の作品に曲をつけるということをやっている[7]

母親がジャズピアニストに憧れていたおかげで家にレコードやスタンダードの楽譜があったため、勉強をしたことはないがジャズには馴染みがあった。自分でジャズを聴くようになったのは大人になってからで、ビル・エヴァンスキース・ジャレット、新しいところではグレッチェン・パーラトエスペランサ・スポルディングロバート・グラスパーアントニオ・ロウレイロなどを聴く[7]

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来歴

幼少期にピエロと大学教授を志すも音楽の道へ。国立音楽大学付属高等学校音楽科から東京芸術大学音楽部作曲科へと進み、2012年3月に卒業。在学中の2011年、東京芸術大学芸術祭にて矢野顕子と自作曲&即興で共演[2]。卒業後は「VOICE SPACE」のメンバーとして、日本各地で谷川俊太郎谷川賢作小室等佐々木幹郎らと共演。

2012年4月より、日本各地で行われる津軽三味線の名手・二代目高橋竹山の演奏会にピアノで出演。

2013年5月、ニ代目高橋竹山とのコラボアルバム『彩』をリリース[2][3]。5月15日、高橋竹山との共演[9]。11月、菊地成孔率いるDCPRGのツアーにサポート・キーボーディストとして参加[注 3][2][3]。12月4日、菊地成孔との共同プロデュースによるデビューアルバム『シャーマン狩り-Go Gunning for Sharman-』をリリース[2][3][4][5]。当初プロデュース予定はなかった菊地は未完成の段階で作品を聴き、あまりに完成度が高いこととクラシックベースの音楽性であることからプロデュースの依頼を一旦辞退するが、共同プロデュースという形でカバー曲の選定、アートワーク、アルバムタイトル、曲順の指定、プロモーションなどをサポート[5][2][7]。しかしは曲自体には一切手を加えておらず、録音にも立ち会っていない[4]

2014年5月のツアーからキーボーディストとしてDCPRGに正式加入[10]

2015年6月の菊地成孔のイベントをきっかけに、CRCK/LCKSを結成[11]。10月21日リリースのジャズピアニスト西山瞳のNHORHM[注 4]のアルバム『New Heritage Of Real Heavy Metal』に収録されたMegadethのカバー「Skin O' My Teeth」でボーカルを務める[12]

2016年3月2日リリースのASA-CHANG&巡礼の6thアルバム『まほう』にゲスト参加[13]。同年よりceroのライブサポート開始。

2018年3月21日、三枝伸太郎とのデュオアルバム『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』をリリース[14]

2018年5月13日、新宿MarzでのCRCK/LCKS演奏後、新木場STUDIO COASTにて開催されていた『TABOO LABEL Presents GREAT HOLIDAY』で小田のアバター「OD」と菊地成孔のアバター「Boss the NK」からなるユニットSPANK HAPPY(のちにFINAL SPANK HAPPYに改称)が突如出現[15]

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ディスコグラフィー

オリジナルアルバム

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コラボアルバム

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参加作品

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サウンドトラック

脚注

外部リンク

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