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DC/PRG

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DC/PRG(ディー・シー・ピー・アール・ジー)は、日本菊地成孔主宰のビッグバンド1999年に「DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)」名義で結成。

概要 別名, 出身地 ...
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概要

要約
視点

菊地の私淑するエレクトリック・マイルスコンセプトの軸に、アフロビートファンク現代音楽を取り入れることで、クラブカルチャー/ダンスフロアに、従来とは異なる律動構造をもったダンス・ミュージックを提示することを音楽的な主眼として結成された。

当初はディスクジョッキーキーボードテナー・サクソフォーンを兼任するバンドマスターの菊地の他に、キーボード、ギター2人、ベースドラムス2人、パーカッションタブラソプラノ・サクソフォーンの10人編成で結成された。2000年に菊地の私塾の生徒だった後関好宏(テナー/ソプラノ・サクソフォーン)が加入、11人編成となり、菊地はDJ、キーボードの演奏とバンドの指揮者に専念するようになる。第二期(2003年〜)に入るとブラスセクション(トロンボーントランペットチューバ)が増員され、14人編成と更に大所帯になる。

その後も活動を続けたが、結成当初は2002年に解散をすると宣言をしていた。また、菊地がリスペクトするマイルス・デイヴィス菊地雅章などジャズの楽曲だけでなく、ジミ・ヘンドリックスビージーズデヴィッド・ボウイらの往年の名曲もカバーしている。

2007年4月25日、Shibuya O-EASTでのライブの本編終了後に活動終了を発表。理由としては「アメリカを表現したため、ファンクバンドとしての役目を終えた。あらかじめ活動終了をアナウンスすると、最近会場に足を運んでいなかった観客が押し寄せるだろうから、あえて当日まで秘密にしておいた」と語った。アンコールではメンバーが担当楽器を持ち替えて「Hey Joe」を演奏した。

2009年マイケル・ヘンダーソン率いるエレクトリック・マイルス・リユニオンバンドの来日公演のダブルビルとしてのオファーを受け、一夜限りの活動再開が決定されたが、マイケル・ヘンダーソンのプロジェクト自体が頓挫し、単独ギグを行う事となり、併せて活動を本格的に再開する事になった。

2010年7月25日、菊地のサイトにおいて再集結が発表。再結成では無く新メンバーによる活動再開であること、バンド名をDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENからDCPRGに改称することがアナウンスされた。2010年10月9日、東京の日比谷野外音楽堂でのライブを皮切りに、単独公演やレコーディングなど、定期的に活動を行っている。2012年以降はSIMI LABとのコラボレートを続け、ヒップホップの要素も取り込んでいる。フェスティバルやイベントでの客演も多く、日本国内でも有数の大型ダンスバンドとなっている。

活動再開後の編成は、菊地の他、キーボード2人、ギター、ベース、ドラムス2人、パーカッション、サクソフォーン2人、トランペットと、結成当時とはやや異なっている。

2015年5月、名称をDCPRGからdCprGへ再改称。

2017年1月、メンバーチェンジに伴いdCprGからDC/PRGへ再々改称。

2021年2月21日、解散発表[1]

2021年4月2日、STUDIO COASTでラストライブ「Hey Joe, We’re dismissed now/PARTY 2-TOKYO」を開催し解散した[2]

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メンバー

2010年活動再開以降のメンバー

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2007年活動終了以前のメンバー

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ディスコグラフィ

要約
視点

第一期

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第二期

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2010年活動再開以降

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※また、OTOTOYから配信限定の作品もリリースされている。

ちなみに、作品のタイトルは実在の書籍や映画に由来するものが多い。

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関連項目

脚注

外部リンク

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