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山下寿郎

建築家 ウィキペディアから

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山下 寿郎(やました としろう、1888年4月2日[1] - 1983年2月2日[1])は、日本の建築家昭和時代にかけて活躍。山形県米沢市出身[1]。昭和の初めに事務所を設立して以米、幾多の建物設計のなかで霞ヶ関ビルNHK放送センター等が代表的な作品である。その一方で建築施工に関する研究も続け、28年にわたり東京大学の講師として後進の指導にあたった。

概要 山下寿郎, 生誕 ...

概要

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山下家,湯野川家,黒井家 周辺の系図

幼少期は教育者であった父、新力から、米沢士族の子弟として、誇高く厳格な家庭教育を受けて成人した。叔父に当る山下源太郎海軍大将に深く私淑し、一生人生の師範として敬った[要出典]。上京の後、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学工学部建築学科に学び、1912年に卒業[1]。同年、三菱合資会社に入社[1]三菱銀行本店、丸ビルに携わる。

1917年、アメリカ、カナダヘ出張。1923年、芝浦製作所勤務。1925年三井合名会社嘱託。1928年5月に山下寿郎建築事務所(現・山下設計)を創立。1931年、帝都復典記念章。1948年に同事務所を株式会社に改組し[1]、同社社長に就任[1]。1959年、同社取締役社長[1]。1964年「建築工事における報酬加算式施工契約制の歴史的考察とその実際的運用に関する検討」で工学博士[1]。1974年、株式会社山下設計へと組織変更し[1]、同社最高顧問[1]。1981年、同社名誉顧問[1]

1920年1948年まで東京帝国大学工学部[1]1925年1927年秋田鉱山専門学校の建築施工の講師を務めた[1]。門下に池原義郎岡部憲明池田武邦らがいる。

社外では、極東建築士会会長(1953年)、日本建築文献センター理事長(1955年)、日本建築設計監理協会会長(1955- 1956年)、建設省中央建設工事紛争審査会会長(1956 - 1966年)、東京都建築士審議会会長(1960)、UIA要請により工業建築国際ゼミナールに参加(1964年、プタペスト)、日本建築士会会長などの要職を歴任した。

日本初の超高層ビル霞が関ビルディング」(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選出)、NHK放送センターのほか、出身地である米沢市役所庁舎、仙台市役所庁舎などの設計を手掛け[1][2]、数多くの賞を受賞した。

設計事務所の長としての山下は、温厚な中にも仕事の面では仲々厳しいところもあり、持前とされた温顔も、所内ではくずすことが殆んどなかったという。「建築はすべて人間の為に有る。それはすべて、人間生活の進化と向上に役立つものでなければならない」と言う建築に対する信念と、生来の正直で、人を偽らぬ真面目な生活態度は、人に愛され、終生変ることがなかったという。また信念をもったロータリアンで「Serviceabove Self!」と言う言葉を座右の銘とし、社会を重んじ、これに奉仕することをいつも念頭に置いていたという。[要出典]

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主な作品

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著書・寄稿

  • 「実費報酬加算式施工契約に就て」『復興建築叢書』6 1924
  • 「契約・仕様・積算」『高等建築学』11 常磐書房、1937
  • 『報酬加算式建築施工契約制度』彰国社、1966
  • 『建築施工契約制度論攻』日本建築士事務所協会、1980

脚注

参考文献

関連項目

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