トップQs
タイムライン
チャット
視点
山口弘定
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。左馬助。山口宗永の次男。 ウィキペディアから
Remove ads
山口 弘定(やまぐち ひろさだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
略歴
加賀国大聖寺城主・山口宗永の次男として誕生。父・宗永と兄・修弘は慶長5年(1600年)8月3日、関ヶ原の戦いの前哨戦において、東軍前田利長の前に籠城したが大聖寺城を落とされ戦死した。弘定は父の遺志を継いで、豊臣秀頼に仕え、大坂城に入城することになる。大坂の陣では義兄・木村重成隊に属し奮戦したが、若江の戦いで井伊直孝隊に討ち取られた。
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads