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山本博 (アーチェリー選手)

アーチェリー選手 ウィキペディアから

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山本 博(やまもと ひろし、1962年10月31日[1] - )は、日本アーチェリー選手、医学者学位医学博士弘前大学大学院2015年)。日本体育大学 体育学部・教授。東京都体育協会・会長。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。所属事務所はPEAKS。

概要 個人情報, 生誕名 ...
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来歴

神奈川県横浜市保土ケ谷区出身[2]横浜高等学校3年次に同志社大学を受験するも不合格、将来は教員志望という事もあり、一浪して体育教員養成では定評もあってアーチェリー部のある日本体育大学体育学部社会体育学科に合格した。日本体育大学体育学部社会体育学科卒。

大宮開成高等学校保健体育科教諭、日本体育大学女子短期大学部助教授を経て、2013年より日本体育大学体育学部社会体育学科教授。2015年3月に弘前大学大学院医学研究科博士課程修了。学位は博士(医学)[3]。指導者(体育教諭)として大宮開成高校時代にインターハイで全国制覇、母校日体大では同志社大学に決勝戦で勝利しインカレで日本一に導いている。

ロサンゼルスオリンピックアーチェリー男子個人銅メダリスト、アテネオリンピック銀メダリスト。

通称「山本先生」「中年の星」。最初の銅メダルから20年を経て41歳で1つランクアップした銀メダルを獲得したことが注目され、「中年の星」と呼ばれた[4]。山本は、「これから20年かけて金を目指します」と公言している[4]

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経歴・競技歴等

W杯トルコ大会にて男子団体で守屋龍一近大)金村賢(京都・莵道高)らと組み優勝。
トルコ大会直後、世界アーチェリー連盟発表の6月11日付ランキングで、日本人として初めて1位にランク付けされた。また同月27日付のランキングでも1位をキープ。書籍「持続力」を出版。
  • 2007年:世界選手権最終選考会で4位に終わり、世界選手権連続出場が13回で途切れた。またアジア選手権でも成績が振るわず、北京オリンピック出場の可能性がなくなった。山本が国内予選で敗れてオリンピックに出場できないのは、モスクワシドニーに続いて3度目。
  • 2009年:世界選手権大会日本代表予選3位通過により、日本代表選手(14度目)に内定する。6月、国体予選で男子70メートル(36射)で345点をマークし、自身が持っていた344点の日本記録を19年ぶりに更新。70メートルラウンド(72射)でも687点の日本新を出した。
  • 2010年:書籍「山本博のゼロから始めるアーチェリー 」を出版。
  • 2011年弘前大学大学院医学研究科博士課程入学[5]
  • 2013年:日本体育大学体育学部社会体育学科教授に昇格[5]。第71回岩手国体・アーチェリー競技アドバイザリーコーチに就任。
  • 2014年:4月、公益財団法人 東京都体育協会会長に就任[7]。6月、東京オリンピック・パラリンピック競技委員会顧問会議 顧問。同年8月、全日本アーチェリー連盟は1ヶ月間(同年8月1日から31日まで)の資格停止処分を下した。書籍「山本 博のアーチェリー 上達バイブル 的中率を上げる50のコツ (コツがわかる本!)」を出版。
  • 2015年:弘前大学大学院医学研究科博士課程修了。学位は博士(医学)[3]。第72回えひめ国体・アーチェリー競技アドバイザリーコーチに就任。日本財団パラリンピックサポートセンター顧問に就任。書籍「がんばれ!盲目の犬レディ オリンピックメダリスト・山本博のわんわん物語」を出版。
  • 2016年:公益財団法人 東京都体育協会会長 2期目。
  • 2017年:日本体育大学アスレティックデパートメント長に就任。第74回茨城国体・アーチェリー競技アドバイザリーコーチに就任。
  • 2018年:公益財団法人 東京都体育協会会長 3期目。日本体育大学スポーツマネジメント学部教授。
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エピソード

主な出演

テレビ番組

CM

その他

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著書

脚注

参考文献

外部リンク

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