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岩下修一
日本の野球選手 ウィキペディアから
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岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )は、静岡県出身[1]の元プロ野球選手(投手)。左投左打。現役時代は2006年のみ登録名を「岩下 修壱」(読みは同じ)とした。
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経歴
浜松工高では2年秋の東海大会でイチロー擁する愛工大名電に敗れる[2]。三菱重工自工名古屋、分離した三菱自動車岡崎では補強3回を含めて4度都市対抗野球に出場[3]、1999年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け入団[1]。この年、三菱自動車岡崎の同僚・山口和男が同じくオリックスに1位で指名された。
2000年、キャンプ、オープン戦と結果を残し開幕一軍に抜擢され、変則フォームから繰り出すストレートとスライダーを武器に左腕ではチームトップの登板数を記録した。
2004年末の球団合併・分配ドラフトを経て、2005年はオリックス・バファローズと契約。同年オフ、戦力外通告を受けオリックスを退団。
2006年、北海道日本ハムファイターズにテスト入団。登録名を岩下修壱に変更。しかし3試合の登板にとどまり、1年で再び戦力外通告を受け打撃投手に転向した。
打撃投手転向後も岩下修壱名義だったが、2009年より本名に戻している。
2023年シーズン限りで日本ハムを退団。2024年1月15日付でオリックスの球団本部管理部スコアラーグループに入団した[4]。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:2000年4月2日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回表2死に2番手として救援登板、1/3回を無失点
- 初奪三振:同上、8回表にタフィ・ローズから
- 初勝利:2000年5月5日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏2死に2番手として救援登板、1回1/3を無失点
背番号
- 26 (2000年 - 2005年)
- 69 (2006年)
登録名
- 岩下 修一 (いわした しゅういち、2000年 - 2005年)
- 岩下 修壱 (いわした しゅういち、2006年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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