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常陸嶌朝次郎

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常陸嶌 朝次郎(ひたちしま あさじろう、1897年3月11日 - 1946年1月24日[1])は、大阪府大阪市住吉区出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は寺西 朝吉。173cm、98kg。最高位は東前頭5枚目。

来歴

1914年6月初土俵、1920年5月十両昇進。1922年1月に新入幕を果たす。1929年秋場所9日目、西前頭14枚目の東関善三郎戦にて撞木反りで勝利した。大相撲において現在までに撞木反りが出たのはこの一番のみであり、本場所・準場所・巡業・イベントを問わず、他に例はない。幕内を通算25場所務めたが、春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(実質的最終場所は1931年10月)した。関西協会では天竜三郎の相談役として存在感を示した。その後は常盤野藤兵衛と運送業を起こした。

足取りを得意とし、横綱西ノ海嘉治郎(3代目)から金星も2場所連続で獲得した。

成績

  • 幕内25場所103勝128敗37休3分預
  • 通算45場所173勝171敗48休6分預
  • 金星2(西ノ海)
  • 十両優勝1回(1921年5月)

場所別成績

さらに見る 春場所, 三月場所 ...
  • 1926年1月の1休は相手力士の休場によるもの。
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改名

なし[2]

出典

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