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平澤貞昭

日本の大蔵官僚 ウィキペディアから

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平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日[1] - )は、日本大蔵官僚。元大蔵事務次官血液型はO型[2]

来歴・人物

1951年昭和26年)都立戸山高校を卒業し[3]1955年(昭和30年)東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後[4]大蔵省に入省(配属先は大臣官房文書課[5])。大臣官房文書課長、近畿財務局長、主計局次長経済企画庁長官官房長、大蔵省銀行局長を経て、1989年平成元年)大蔵事務次官に就任。

1990年(平成2年)に退官後、1992年(平成4年)から1994年(平成6年)まで国民金融公庫総裁を務めた。1994年(平成6年)横浜銀行頭取に就任したが、同行頭取就任前まで日銀総裁候補に推されていた。当時の現役次官斎藤次郎が自身の師匠格吉野良彦、主流派閥の親分格山口光秀らと共に平澤ら3人の元次官組を推挙していた。しかし、一高同期の三重野康前総裁の後釜ということで自身の芽は無かった元次官長岡實松下康雄を推挙。長岡は、後任東証理事長に山口とリークし松下の可能性を高め、吉野が当初より固辞していた姿勢を崩さず、また平澤が国民公庫総裁から横浜銀行頭取にスカウトされたため、斎藤も竹内道雄 - 長岡實元次官主流ラインの下、長岡が推す松下というシナリオを追認せざるを得なかった[6]

その後、2004年(平成16年)に横浜銀行会長兼頭取、2005年(平成17年)に同行会長。

2006年(平成18年)の秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章した[7]

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略歴

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脚注

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