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広島県立因島高等学校
広島県尾道市にある高等学校 ウィキペディアから
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広島県立因島高等学校(ひろしまけんりつ いんのしま こうとうがっこう)は広島県尾道市因島にある県立の高等学校。
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概要
- 校訓
- 「自重互敬」
- 校章
- 校名をローマ字表記した場合の最初の2文字(in)を図案化したもの。英語で「HIGH SCHOOL」が付されている。
- 校歌
- タイトルは「夢に向かって」。作詞は平野祐香里、作曲は堀内俊男による。歌詞中に校名は登場しない。
沿革
学制改革前
学制改革後
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)6月6日 - 同校の家庭科を生活科に改称[4]。
- 1952年(昭和27年)9月15日 - 因北分校の新校舎が完成[4]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 同校に昼間定時制の機械科を設置[4]。
- 1956年(昭和31年)5月31日 - 生口分校を廃止[4]。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 同校の全日制商業科の募集を停止[4]。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 同校を広島県因島高等学校に改称[4]。また、生活科を2学級に定員増加[4]。
- 1959年(昭和34年)3月31日 - 同校の全日制商業科を廃止[4]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 同校の生活科を家政科に改称[4]。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 同校機械科と因北分校が定時制から全日制に転換[4]。また、広島県本郷高等学校鷺浦分校を同校に移管[4]。
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 長浜校舎が分離の上、広島県因島北高等学校として独立。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立因島高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が付される)。
統廃合以後
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著名な出身者
- 村上ショージ - コメディアン、日立造船因島工場に勤務時代、勤労学生として同校定時制に進学・卒業
- 田島治子 - 元サカイ引越センター社長
- 東ちづる - 女優
- 岡野昭仁 - ポルノグラフィティのヴォーカリスト
- 新藤晴一 - ポルノグラフィティのギタリスト
- 小野卓司 - NHKアナウンサー
- 湊かなえ - 小説家
- 寺西重郎 - 元一橋大学副学長、元イェール大学客員教授、紫綬褒章
- 寺西正司 - 元UFJ銀行頭取、元全国銀行協会会長
- 岡野 徹 - 元旭化成株式会社専務取締役、元旭有機材株式会社代表取締役社長、元高校同窓会東京支部長
- 吉原敬典 - 目白大学経営学部・大学院経営学研究科博士後期課程研究指導教授、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科兼任講師、ビジネスクリエーター研究学会会長、ホスピタリティマネジメント研究会会長
- 細川洪 - 俳優
- 須山浩継 - スポーツライター
- 田頭剛 - 元体操日本代表
- 石田好伸 - RSK山陽放送アナウンサー
- 福島萬治 - 元卓球選手
その他
関連項目
脚注
外部リンク
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