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建部昌興
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建部 昌興(たけべ まさおき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将、書家。
経歴
父は伝内流の祖として知られた能書家の建部賢文。天正18年(1590年)13歳の時に父が死去したため、母方の井上氏の元で書を学ぶ。長じて京都に出て長束正家、佐野綱正の元にいたこともあったが、慶長元年(1596年)伏見城の徳川家康に召されて右筆として仕えた。知行500石。家中では松平忠吉ら一門連枝に書を伝え、伝内流は御家流の栄誉を得た[3][1][2]。
慶長5年(1600年)会津征伐に従軍し、戦後320石余を加増される[注釈 1]。慶長20年(1615年)大坂夏の陣に従軍。この時、自害した古田重然の遺品のうち頓阿写の『続千載和歌集』を賜っている。徳川秀忠の代になっても重用され、秀忠が将軍職を辞して江戸城西の丸に移るとこれに従う。寛永3年(1626年)秀忠・家光の上洛に従い、上洛後に武家の有職故実を書き記している。寛永11年(1634年)の上洛にも供奉した[2]。明暦元年(1655年)致仕して宗西と号し、同年76歳で没[1][2]。
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脚注
参考文献
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