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式守勘太夫 (9代)

大相撲の行司 (1942-2023) ウィキペディアから

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9代式守 勘太夫(しきもり かんだゆう、本名:三浦 国男、1942年8月17日 - 2023年9月20日)は大相撲の元三役行司伊勢ヶ濱部屋桐山部屋所属。

概要 基礎情報, 行司名 ...
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人物

青森県三戸郡五戸町出身。血液型O型。

師匠は5代式守勘太夫6代鏡山勘太夫)である。若い頃はよく相撲を取っており強かった。

初土俵から26年掛けて十両格に昇進した苦労人である。

明らかに他の行司に比べて太っており、動きがやや緩慢であったことが評価点になったとされているが、差し違えは少なく、独特の荒々しい声の持ち主であった。

1994年幕内格に昇格。1999年9月場所、29代式守伊之助木村孔一の休場により初めて幕内の相撲を裁いた。

2007年7月場所をもって停年2023年9月20日に肝細胞癌のため死去[1]81歳没

最後の裁きは関脇琴光喜前頭6枚目稀勢の里戦。

故郷の五戸町公民館には、自身が着用した行司装束が展示されている[2]

掛け声

ダガーッタガッタ、ダガーッタガッタガッタ ダガーッタガッタ、ダガーッタガッタガッタ

その他

  • 停年が近い2005年までは幕内数番目が定位置だった。行司の停年ラッシュで2006年3月場所三役格に昇格し、2007年5月、7月場所は三役格筆頭となった。2005年7月場所限りで10代式守錦太夫が停年、以降同年11月場所限りで31代木村庄之助2006年1月場所限りで32代木村庄之助34代式守伊之助木村一童の3人、2007年3月場所限りで33代木村庄之助がそれぞれ停年を迎えて、勘太夫停年前の2年間で6人も上位の行司が引退した為である。
  • 相撲が強く、幕下力士と対戦して勝ったことがあると言う。
  • 1958年5月に初土俵だがこれは正式採用の場所で、実際には1956年頃より土俵に上がっていた。
  • 幕下格行司時代の1975年3月場所(当時の行司名は式守洋一)に後輩で4歳年下の木村順一(当時の行司名。木村城之介を経て最終名は35代木村庄之助)に番付を抜かれているが、上位の空きでの偶然もあり、十両格、幕内格、三役格と城之介とは同時に昇格となった。

履歴

出演

CM

脚注

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