トップQs
タイムライン
チャット
視点

張碓駅

かつて北海道小樽市にあった北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから

張碓駅
Remove ads

張碓駅(はりうすえき)は、かつて北海道小樽市張碓町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線廃駅)である。事務管理コードは▲130119[3]

概要 張碓駅, 所在地 ...
Thumb
駅名標(2005年6月)
Thumb
ホームにある義経隧道碑と第一号機関車義経号の鈴(レプリカ)(2005年6月)
Thumb
張碓トンネルそばの海岸線にあった(2005年6月)
Thumb
廃止後の駅。ホーム取り壊し中。(2006年9月)
Thumb
1976年の張碓駅、周囲約2km×3km範囲。左が小樽方面。上の別枠に当駅拡大。崖に貼りつくように、中線を間に挟んだ相対式ホームが設置されている。張碓市街が写真右下側に見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
Remove ads

歴史

要約
視点

当駅は1880年(明治13年)の官営幌内鉄道としての開通時には設置されておらず、その15年後に北海道炭礦鉄道によって新設された。

しかし、当駅は張碓の集落から朝里駅方向に2キロメートルほど進んだ位置の崖下の海岸沿いに設置された。この位置に北海道炭礦鉄道が駅を設けた理由としては、集落の便を図ったというよりも、当地付近での土砂の採集・発送や、トンネル事故時の退避場所としての活用を企図したため、とされている[4][5]

このため、張碓の集落から当駅へは線路沿いの人道を歩く以外にアクセスの手段が実質的に存在せず、列車と接触しての死亡事故も多発したため何度か住民による移転の要望が出されたものの[5]、実現することはなかった。

1990年(平成2年)以降は当駅の前に広がる海水浴場の客をターゲットとした夏季のみ営業の臨時駅となったものの、1998年(平成10年)から夏季の開設もなされなくなり[6]2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正に合わせて、廃駅となった。

年表

駅名の由来

所在地による。アイヌ語の「ハルウㇱ(haru-us)」(食料・群生する)に由来する[14]。この場合の「食料」とは、オオウバユリギョウジャニンニクなどの山菜を意味する。

なお、駅が設置されていた場所は「チャラセナイ(charse-nay)[4]」と呼ばれていた地で、アイヌ語で「(崖を)ちゃらちゃらと滑り落ちる・川」の意である。

Remove ads

駅構造

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅だった。跨線橋は設置されておらず、臨時駅となった当時には既に駅舎便所・油燈室小屋・物品庫は、閉鎖されていた。国鉄時代は中線があったが[15]、その後撤去されている。ホームはかさ上げされておらず、幅が2メートルもないため通過列車に注意する必要があった。

利用状況

要約
視点

乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

さらに見る 年度, 乗車人員(人) ...

駅周辺

北北東方向に石狩湾を臨む位置にあった。

周辺の海岸はかつて海水浴場となっていて、古くは札幌 - 張碓間を往復する海水浴客向けの臨時列車も運転されていた。

駅のあった場所から南200メートルの高台を国道5号が、さらに50メートル南を札樽自動車道が走っている。

駅裏には「張碓の滝」と呼ばれる落差50メートル級の滝がある。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
函館本線
朝里駅 - 張碓駅 - 銭函駅

脚注

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads